旭川の入り口。石狩川の渓谷が続いている。

納内駅から渓谷に向かってしばらく走ると、石狩川に白い橋が架かっている。
橋を渡ると、旧国鉄函館本線の線路跡がサイクリングコースになっている。
2001年5月現在は、トンネル内崩落の恐れがあるために通行不可だが、是非とも走ってみたい道である。

 

旭川ばんえい競馬に行こう。

そう思って地図を眺めていると、札幌から旭川に向かう幹線道路や鉄道すべてが、
旭川の街に入る手前でトンネルをくぐっていることに気が付いた。

しかも、国道12号と函館本線はトンネル付近で急接近しており、
その真ん中には石狩川が流れている。

こんな地形は、必ず何か歴史ある。
飛躍するようだが、大阪から京都に向かう途中、山崎の地で淀川を中心に
すべての道路と鉄道が急接近している。
そしてこの山崎は、明智光秀が羽柴秀吉に敗れた合戦の地である。

改めて地形図を見る。
旭川の街には、南から美瑛川、東から忠別川、北から石狩川が注ぎ込み、
これらが合流したところに市街地が広がっている。
しかし開けた東側とは対照的に、石狩川が流れ出す西側は常磐山と神居山に挟まれた
渓谷となっている。

大げさに言えば、札幌と旭川間の連続性は、この渓谷で完全に遮断されているのだ。
実際に、「納内駅」から旭川まで石狩川沿いに走ってみるとこの遮断を実感することができた。

「北海道の歴史散歩」(山川出版社)によると、この地は神居古潭(かむいこたん)、
アイヌ語で神の居る場所と呼ばれる神話の舞台である。
明治に入って道路ができるまでは、石狩川が上流の旭川と下流の石狩地方を結ぶ唯一の
交通路で、アイヌの人たちは、この難所を巧みに越えていたらしい。

そんなことを考えながら、ばんえい競馬に臨んだ私であるが、
いつものことながら、見事に敗れ去ってしまった。

2001年5月26日

 

(なお、2018年現在は旭川競馬場でばんえい競馬は開催していません)