足利学校のパンフレット

 

2001年春。
中津競馬場開催中止の衝撃的な報を聞いて、
失礼ながら「早く足利競馬場に行かなくちゃ」と思ってしまった。

同一県内に2つの地方競馬場を持つ県を探すと、
北海道:札幌・旭川・門別
岩手 :盛岡・水沢
栃木 :宇都宮・足利
新潟 :新潟・三条
兵庫 :園田・姫路
岩手県を除くと、2場のうち片方はやや不安あり(失礼)。

というわけで、強風の中、わざわざ渡良瀬川河川敷を競馬場まで歩いてみた。
本当に強風で、風上に向かって体を倒しながら歩かないと、飛ばされてしまいそう。
折りしも、花粉症の季節。
競馬場にたどり着いたものの、とても競馬どころではなかった。

いつも思うが、
高崎競馬→前橋競輪→伊勢崎オート→桐生競艇→足利競馬→宇都宮競馬・競輪
と続く、上毛ギャンブルラインは見事だ。
実は「日本の街道ガイドブック」によると、
このラインは江戸時代に京都から日光に向かう例幣使一行が使った街道で、
「日光例幣使街道」と呼ばれていたそうだ。
やはりただものではなかったようだ。

また、足利といえば足利学校。
創立時期について諸説あるが、尊氏・直義兄弟の時代には存在していたようである。
戦国時代になると、易学・兵学を中心に軍師を養成する機関になっていた。
優れた学校であることは武田信玄やフランシスコザビエルにも知れらていた。
というのが自慢の足利学校であった。