函館戦争に殉じた旧幕府戦士を弔う碧血碑
函館市内にある土方歳三のお墓
函館は新撰組副長・土方歳三終焉の地である。
鳥羽伏見の戦いで破れた幕府軍として参戦していた新撰組は、
甲府、会津と転戦した後、仙台で榎本武揚率いる幕府艦隊と合流して、
北海道に渡った。
函館五稜郭を本拠地とした旧幕府軍と新政府軍の戦いが始まり、
1869年5月11日、土方歳三は銃弾を受けて死去した。35歳だった。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」によると、
被弾前、政府軍に身元を確認された土方は、
旧幕府軍の陸軍奉行並という要職についていたにもかかわらず、
「新撰組副長・土方歳三」と答えたという。
歴史の後知恵から振り返れば、
榎本や土方が行ったことは、歴史に逆流する意味の無いことだったかも知れない。
しかしいつの時代でも、その時代に生きる人間として、揺れ動く価値観の中で、
どれを選択すれば正解ということは無いだろう。
元々幕府の正規軍からは外れた「新撰組」に身をおいた土方が、
もっとも幕府の正規軍らしい行動をとった。
この行動を何と評すれば適切かわからないが、
こんな人間がいたことを忘れないでいたい。
榎本武揚・土方歳三、函館の地は、
私に歴史に対する興味を持たせてくれた大切な人・場所である。
そしてその函館の地は、毎年6月になるとJRA函館開催と記念競輪が重なって、
日本中の注目が集まる土地となる。
函館競輪はナイター開催できるのだが、記念だけは昼間の開催となる。
時間帯が全く競馬と重なってしまう。
昼間は競馬、夜は競輪というパターンにして欲しいと思うのは、
私だけではないだろう