これがボタ山だ! 「飯塚市歴史資料館パンフレット」より

 

飯塚オートは、名作「青春の門」の舞台となった筑豊にある。
小説の内容はほとんど忘れてしまったが、
主人公が生まれ故郷筑豊を去るとき、ボタ山を眺めていたシーンが
妙に残っている。

そういうわけで、「ボタ山」を見てみたい!
という気持ちに駆られて、つい見にきてしまった。

樹木が生えていない裸の山だと勝手に想像していたが、
実物を見て驚いてしまった。
ボタ山と言われなければわからないくらい普通の山だった。

飯塚の街の真ん中には遠賀川が流れている。
地図を眺めるとわかるように、この川は芦屋まで流れており、、
また、運河を通じて若松まで達している。
1898年には「五平太船」と呼ばれる船底が平らな船9000艘以上が、
この川に浮かび、石炭を運んでいたそうだ。
(ちなみに、芦屋・若松ともに競艇場を持つ街である)

その後、石炭の運搬は船から鉄道に取って代り、
昭和20~40年代は「運炭線」が網の目のように走っていた。
当時、この地方の貨物取り扱い量は全国の1割を占めるほどで、
筑豊本線の飯塚付近は、あかずの踏み切りだったとのこと。
そんな全盛期の昭和32年に開設されたのが「飯塚オート」だった。

街の中心は飯塚駅ではなく、1キロほど離れた「嘉穂劇場」付近。
歩いて見ると、今でも一番の繁華街はこのあたりと言ってよさそう。

昭和40年代後半は、石炭から石油へのエネルギー革命が起こり、
炭鉱の閉鎖が相次いだのはご承知のとおり。
衰退した主要産業に代わり、現在の飯塚は、
スタンフォード大学と提携して情報産業都市を目指している。

頑張っている、そんな飯塚市のために、
私も(オートレース場で)ささやかながら寄付してきました。