マルギット島に渡るマルギット橋から見たドナウ川。
(左手・国会議事堂 正面・ゲッレールトの丘 右手・ブダ王宮)
ドナウ川に浮かぶマルギット島で偶然見つけたジョギングコース。
何と言ってもドナウ川はヨーロッパ最大の川である。
ドイツの南部、スイスとの国境にほど近いドナウエッシンゲンを源として東へ進み、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、クロアチア、ユーゴスラビアを流れ、ルーマニアとブルガリアの国境線を形成し、最後は黒海へ注ぐ。その長さは2900km。長さだけ見ると、6000kmを越える揚子江・アマゾン川・ナイル川・ミシシッピー川など各大陸を代表する川の半分以下であり、たいしたことはないと思ってしまうが、その歴史的存在意義は非常に大きい。何しろその流域には現在でも、ウイーン・ブラチスラバ・ブダペスト・ベオグラードという東ヨーロッパ各国の首都が存在しており、大都市の形成に非常に大きな役割を果たした川といえる。
そういう観点でヨーロッパの大都市を見直してみると、不思議なくらいその街の真ん中に川が流れている。パリにおけるセーヌ川、ロンドンにおけるテムズ川、ベルリンにおけるシュプレー川、プラハにおけるヴルタヴァ川(エルベ川)などなど。もちろん自動車が発明される以前は船が最も重要な運送手段であり、その通路確保の意味で川が重要であったという極めて実用的な意味もあるだろう。
しかし大都市の真ん中に川が流れているのは、上記実用面以外にも非物質的な意味も含んでおり、そちらの方が重要であるというのが栗本慎一郎氏の説である。栗本氏の「都市は、発狂する。(光文社)」によると、都市には政治の中心となる「光」の部分と同時に、商業や祭りの中心となる「闇」の部分が存在することが重要である。そして「光」の都市と「闇」の都市とを隔てるものが川である。
具体的な例として氏があげているものに「駅」の存在がある。現代日本では街の中心には駅があり、その街がどんな街なのかを端的に表している場所といえる。だから私などは初めていく(日本の)街では、まず駅に行くことにしているくらいなのだが、特にヨーロッパについてはそうではないようだ。ヨーロッパの駅を見ると、地下鉄を除き街の中心から外れたところに置かれていることが多い。あたかも鉄道というのは、郊外から街の片隅にそっと到着し、そこからスイッチバックして再び街を離れていくという存在であるかのようだ。しかも街の中心というよりは、治安上好ましくない環境にあることが多い。
しかし栗本氏によると、それは当然のことのようである。
以下「都市は、発狂する。」からの引用。
『鉄道の駅といのは、要するに遠くの異なる空間へ人を運び去ったり、異なる空間から物資がはいりこんでくるところだから、別の世界とはっきりつながっている地点なのだ。異なる世界というのは、他界と同じだ。だから、だいたい駅は闇の都市にある。』
「他界」というワードがいきなり出てくるとわかりづらい点もあるが、要は都市の政治を担っている人々は他者を極端に恐れ、他者が入ってくる場所を自分たちのいる「光」の都市とはっきり分けて「闇」の都市という概念が生まれたと理解すればよいのだろう。しかし新しい文明は雑多な他者が流入する「闇」の都市から生まれることが多く、現代ではそちら(よく言えば、新しい価値の創造)が重視されるあまり、「光」と「闇」が逆転してしまった感があるが。
さて、話をドナウ川にもどす。
これまた栗本氏からの引用だが、「光」の都市と「闇」の都市を考える上で、最もわかりやすい都市がブダペストである。ブダペストはもともとブダという街とペストという街に別れていた。
『9世紀にこの地に南下してきたハンガリー人の最初の王、マーチャーシ王は、ドナウを真下に見下ろすブダの丘陵に王城を建設した。マーチャーシ王がブダの丘に進軍したとき、すでにユダヤ人たちがドナウ川の左岸(ブダの丘陵の対岸)にかなりの規模の町を作って住んでいた。もちろん、彼らは交易に従事していた。』(括弧内は私の注釈)
すなわち、ブダペストは「光」の都市・ブダと「闇」の都市・ペストがドナウ川を堺にはっきりと別れている都市である。ブダペストがひとつの街に統合されたのは1872年。このとき約30万人だったこの街の人口は、周辺地域からの人々に流入により、1910年には90万人に膨れ上がった。この時期はブダペストが経済的にも文化的にも驚異的な大発展をとげた黄金期である。あまり知られていないことだが、1896年にヨーロッパ大陸初の地下鉄を開通させたのもこのブダペストである。
ブダペストの発展について、あるいは「光」の都市、「闇」の都市について、さらに詳しく知りたい方は是非栗本氏の前述の読んでいただくことにして、そろそろ本題の推奨ジョギングコースに話を移すことにしよう。
2003年夏。ヨーロッパを訪れる機会をもった私は栗本氏の影響もあり、ぜひともブダペストに行こうと心に決めていた。実は第二次大戦後に同じ共産主義国となったルーマニアから鉄道でブダペストに入るという、もう二度とやることはないであろう入国手段をとった。このときの報告はいずれ機会があればまとめたいと思うが、結論として、ルーマニアの各都市(ブカレスト・ブラショフ)に比べブダペストはカラフルであり、一目でその違いを感じ取れた。冷戦が終わってもその情報が少なく、旧共産主義国はみな同じような印象を持っていたが、これが全くの誤りであることが実感できた。ブダペストは何度でも行ってみたい街である。
突然だが、ジョギングは心に余裕がなければ出来ないスポーツである。
バック・トゥ・ザ・フューチャーという映画の第3作で、1885年へタイムスリップしたドク(クリストファー・ロイド)が「未来では自動車というものが出来る」と酒場で説明するシーンがある。それを聞いていたひとりが、「それでは未来では人間は走らなくてもいいのか」というもっともな質問をするのだが、それに答えてドクは「いいや。レクリエーションとして走る。」と説明するのだが、それを聞いて酒場にいた者はみんな大笑いをするのである。「走るという苦しいことを、楽しみとしてやるなんて理屈にあわないじゃないか」
ブダペストではジョギングをしている多くの人を見たが、ルーマニアではいなかった。ブカレストやブラショフの歩道はでこぼこで、舗装もつぎはぎだらけ。とても走れたものでない。ブダペストはどうだろう?
不安を感じながら早朝ジョギングを始めたが、これが心地よい。ドナウ川沿いの道については、ペスト側は国会議事堂付近で道がはっきりしなくなり、走るのにやや不便。これに対しブダ側にはドナウ川に沿ってサイクリングコースが設けられており、自由橋からマルギット橋まで真っ直ぐ走れる。それに途中ゲッレールトの丘やブダ王宮の小高い丘に登ってドナウ川を見下ろすというオプションも可能であるが、しかし極めつけはマルギット島一周につきる。
マルギット島はブダペストの中心からやや上流によったところにある長さ約2.5km幅500mの中州である。島内は公園として整備されており、テニスコートやプールもある。温泉も沸くとのことで島内には温泉ホテルもある。せっかくブダペストにきたからちょっと寄ってみよう。というくらいの感覚でこの島に脚を踏み入れたのだが、これが大当たり。上の写真で見るように、平坦な島の周囲にはぐるっと一周できるジョギングコースが整備されている。途中工事区間もあるが、約2/3はタータンが敷かれ、ふわふわと脚にやさしい一周5.3kmのコースである。ここには多くのジョガーが集まっており、逆まわりをしている人と頻繁にすれ違う。ちょうど距離的にも皇居に近い雰囲気だ。
というわけで、お薦めジョギングは以下のとおり。
(ペスト側に宿泊した場合は)
自由橋→ゲッレールトの丘→右岸サイクリングコース→マルギット橋(上流側の歩道)→マルギット島一周→マルギット橋→右岸サイクリングコース→鎖橋→ホテルへ
全体で12~3kmくらい。
ちなみにこのブダペストでは9月下旬に「ブダペストマラソン」が開催される。
是非とも参加してみたいマラソンである。
注:ブダペストのミネラルウオーターはまずい。ホテルにエビアンがおいてあったが、350mlで日本円にして約400円と非常に高い。この点だけが問題だ。