ボンからデュースブルグまで、約160kmに渡り整備されたサイクリングコース。

(正面に見えるのはケルンの大聖堂)

ツォー橋から臨むライン川の夜明け

 

ドナウ川・ローヌ川そしてライン川。この3つの川を称して「ヨーロッパの3大河川」言うそうだ。
中でもライン川は、中学校の音楽の時間に習った「ローレライ」の影響で、何となく昔から行ったことがあるように錯覚しているのは私だけだろうか?

2003年夏。ヨーロッパを訪れる機会を持った私は、是非ライン川をジョギングする予定を組み入れようと考えていた。しかしライン川沿いの街としては、ライン下りで有名なマインツやコブレンツ、その下流域では「西ドイツ」の首都だったボンや日本人ビジネスマンの多いデュッセルドルフ、さらに上流に目を移せば、競馬でも有名なバーデンバーデンなどがあり、そのどれにするかでスケジュールは大きく変わってしまう。

そんな中で、ライン川を代表する街として文句なしで選定したのがケルンである。
ケルンは前述したボンとデュッセルドルフの中間に位置するドイツ第4の都市で、その歴史はローマ帝国の時代まで遡る。文字通りローマを中心に地中海世界を制覇したローマ帝国だったが、北東方面はライン川を境にゲルマン諸民族と熾烈な争いを続けていた。そしてそのとき最前線の拠点となったのがケルンであった。

この地で生まれたアグリッピナは紀元前38年にローマ皇帝クラウディウスのもとに嫁ぎ、のちの皇帝ネロの母となるが、そのときこの地はコロニア・ディア・アラ・アグリッピネンシウムと名づけられ、300年にわたって反映したと言われている。その後中世にはハンザ同盟都市として栄えたケルンには、そのシンボルとなる大聖堂が建設されるのだが、その着工は1248年だが、途中300年の中断をはさみ、完成したのは1880年というから随分気の遠くなる話である。

しかし実際にこの大聖堂を見上げると、確かにそれだけの重みを感じ取ることができる。有名ではあるが、実際見てみるとがっかりさせられる名所はいくつもあるが、この大聖堂は掛け値なしの本物である。しかもケルン中央駅を出るとすぐそこに実に無防備に存在しているのも、思わせぶりな名所が多い中で、実にいさぎよい。雄大かつ繊細。一日中ぼーっと眺めていても飽きることはない。日本人観光客も結構来ており、お決まりのように写真を撮ろうとするのだが、この大聖堂は大きすぎて、ちっぽけなカメラなどでは収まりきらない。そんな小技を発明した現在人をあざ笑うかのように、そこに存在している。これだけでもケルンを選択して正解だったと思わせるものである。

さてそんなライン川に快適なジョギングコースはあるだろうか?
いつものように早朝ジョグを始めた私であるが、ケルン中央駅(すなわち大聖堂)から川に出ると、すぐそこがサイクリングコースだった。ライン川の大聖堂側(左岸)を下流に走ると実に快適。途中、野うさぎがたくさんいて、私が走るとぴょんぴょん跳ね回っている。ジョガーも多い。海外マラソンのホームページを見ていると、マラソン大会の多い国はUSAとドイツであることがすぐわかる。さすがにマラソンの国だわい、と関心するくらいジョガーが多い。

走り出して2本目のミュルハイマー橋で右岸に渡ったが、こちらは逆にあまり整備されていない印象だった。結局また左岸に戻り、来た道を逆走。すなわち大聖堂に向かって走ることにしたが、ここからは、あの雄大な大聖堂がきれいに眺めることができる(上写真参照)。

今回は同じコースを行ったりきたりして時間をつぶしてしまった形になるが、途中にあった案内板を見ると、このコースはボンからデュースブルグまで約160kmつながっているようだ。(もちろん説明文はドイツ語なので読めないが、ちゃんとサイクリングコースマップが描かれていた)

前述のようにドイツはマラソン大国である。
街を歩いているとマラソン用品店があった。ドイツで開催されるマラソンガイドがないか調べていると、ありましたありました。しかし店員によると、私が手にしたガイドは全ドイツを網羅していないとのこと。ドイツ全国のガイドはないか尋ねると、親切にも探してくれた。しかも無料とのこと。このガイドでおもしろいレースを探して、いつか参加したいものだ。

というわけで、推奨ジョギングコースは以下のとおり。
ライン川左岸を大聖堂から下流に走る。右岸には渡らないほうがよさそう。ミュルハイマー橋から先は走っていないのでどこまで整備されているかわからないが、同じところを適当に往復しても満足できる風景だろう。