2007年3月16日 珠江を走る

珠江・沙面付近を走る

 

3月11日に和歌山県で美山マラソンを走る予定だったが、急遽決まった中国出張。
どうせなら中国を走ってしまおうではないか、と仕事場から地下鉄で3駅ほど離れた珠江沿いにホテルを取ることにした。

香港にほど近い広州。この街には地下鉄が走っており、私が泊まったのは地下鉄2号線・海珠広場駅近く。毎朝走ろうと思っていたが、日の出が遅く、かつ一日中もやがかかったような空模様で、なかなかお陽様が拝めない。結局走ったのは帰国しようとする最終日だけになってしまった。

しかし、どこに行っても広州は人が多い。
10年ほど前にも仕事で北京に行ったことがあるが、そのときと比べて人々の服装や髪型が洗練されている。言葉や「マナー」を除くと日本にいるのとほとんど変わらないのではないか。思わず、おっ!と振り向いてしまう女性もそこかしこにいる。ホテルのまん前では夜通し工事をしており、なんともエネルギッシュ。しかし、そのおかげでホテルでどうにも熟睡できない。ぼーっとしたままで走り始める。

ホテルから珠江河畔まではすぐ近くなのに、交通量が多い道に阻まれてなかなか渡れない。しかし、渡れないのは日本人である私だけで、中国の人々は何の苦も無く車の間を縫って横断してしまう。車もスピードを落とす気配もない。ついていけないものは取り残される。日本では死語となってしまった「生存競争」という言葉。そんな言葉を実感できる街。それが広州なのだ。

珠江の両岸にはきちんとした歩道がついており、走ろうと思えばいくらでも走れるのだが、いかんせん歩道には人があふれている。もちろん通勤の人もいるのだが、それ以上に散歩しているひとや音楽をかけながら並んで太極拳(?)をする人が行く手をさえぎっている。ときどきジョギングする人もいる。街中でジョギングする人がいるかいないか。私にとってその街を好きになれるかなれないかは、実はそんなことに左右されているのだ。

歩道が人であふれかえっている。
思えば、この日は金曜日。朝の通勤時間帯にどうしてこんなに多くのひとが思い思いにすごしているのだろう。仕事がない。という現実的な問題で説明づけることはできるだろうが、それにしても人々の表情は暗くない。失業中ということが事実だったとしても、街行く人に無気力感は微塵にも見られない。それどころか過剰と思えるほどエネルギッシュでさえある。ということは生存競争というワードを意識させるほどの厳しい社会の中で、しかし人々は精神的な余裕を持って生きているということだろう。日本とは何と言う違いだろう。

短パンで走るのに少し抵抗がありジャージをはいて走ったこと、そして前述したようにもやがかかり、じめっとした気候の中を走ったこともあり、はじめは妙に走りづらかったが、徐々に調子が上がる。人ごみを縫って、広州の風を感じながら、立ち止まったら抜け出せなくなってしまいそうなこの街を走り抜けよう。