セントルイスのシンボル・ゲートウエイアーチとミシシッピー川
街中のアスリートが集まる(?)フォレストパーク。
北アメリカの大河・ミシシッピー。
この川が創った街を走るならこの街と以前から決めていたのがセントルイス。
この街はミシシッピー川とミズーリ川の合流点にほど近く位置する街で、もともとはフランス領ルイジアナの1都市だったため、フランス王ルイにちなんだ街の名前になっている。1803年、かのナポレオンがイギリスと闘うための資金を確保したいという思惑と、USA三代目大統領ジェファソンの思惑が一致し、USAはフランスからミシシッピー以西のルイジアナを1500ドルで購入したのである。
若かりしUSAの西部開拓時代、西へ向かう開拓者の入り口として栄えたのがこのセントルイスで、そのシンボルとして1965年に高さ192mのゲートウエイアーチが、ミシシッピー川ほとりのジェファーソン国立エクスパンションメモリアルに建設された。
と、ここまでは教科書からの知識。
2005年8月。カナダ・バンクーバー近郊のスコーミッシュでマラソンに参加することを決めた私は、どうせ北アメリカに行くならセントルイスを走ろうと、日本人観光客がほとんど行かないアメリカのど真ん中へ向かった。そして実際に仰ぎ見たゲートウエイアーチは、想像を遥かに越えた、とんでもない大きさだった。
私が宿泊した宿は、ミシシッピー河岸から10km弱離れたフォレストパーク近く。夏休み期間のアメリカの宿はどこも高く、とりえず料金表だけで休めの宿を決めてしまったのだが、改めて地図で確認すると、目的のミシシッピー川からえらく離れていることに気づいた。これは失敗したかな、と思っていたが、結果的には正解だったことは後述。
ともかく、朝6時前に走り始めようと決めて床についたのだが、気がつくと窓の外が妙に明るい。今回の旅はバンクーバー、デンバーと渡り歩いた最後の目的地。実はこの3ヶ所は1時間づつ時差がある地域で、朝5時ごろはどの程度明るいのかは、朝になってみなければわからない状況だった。バンクーバーの朝5時は薄明るいという程度だったが、ここセントルイスはだいぶ事情が違うんだなと思いつつ時計を見ると、すでに7時をはるかに超えていた。アラームにも気づかずに爆睡していたようだ。思えば、今回のアメリカの旅は時差ぼけがなかなか抜けず、夜中に妙に眼がさえわたり、起きる時間帯が一番眠いという状態を繰り返していた。2年前のヨーロッパの旅ではそこまでひどくなかったので、これは西回りと東回りの違いなのか、はたまた2年年齢を重ねたことによるものか。。。
ホテルのチェックアウトが12時までOKであるという利点を最大限利用しようと、スタート時間は大幅に遅くなってしまったものの、予定どおりミシシッピー川に向かい走り始めた。そしてホテルから川までの半分ほど走り、ダウンタウンにさしかかったあたりで、既にかのアーチが視界に入ってきた。きれいに緑で整備され、ユニオンステーションや旧裁判所などロマネスク様式の建築物を見ながらマーケット通りを東へ向かうと、アーチはずんずん大きくなっていった。最後にはとてもカメラには収めることはできないほど、そして無理に収めたとしても、その真の大きさを実感できる写真にすることなど到底不可能な存在として眼の前に現れたのである。
アーチのあるジェファーソン国立記念広場は、きれいに整備された緑豊かな公園で、ジョギングした午前中はそれほどでもなかったが、お昼過ぎに改めて行ってみると多くの観光客が集まっていた。ただ残念なのはジョガーの姿が少なかったこと。もうひとつは、公園と川に挟まれた道は歩行者のためにきれいに整備されているとは言えず、むしろ車のための道になっており、人が快適に走れる状態ではなかったことだ。
雄大なミシシッピー川。そのほとりをゆっくりと走ることを想像していた私にとって、正直言ってセントルイスを選んだことは失敗だったかもしれない。そんな気持ちが強かったためか、ダウンタウン自体がもうひとつ活気の乏しい街に移ってしまった。
その代わりと言っては何だが、ホテル近くのフォレストパークは実に美しかった。
おまけにランナーはもちろん、ウオーキング、自転車、インラインスケートなどなど、多くの人が集まっている。そうか、セントルイス中のランナーはミシシッピーではなく、ここに集まっていたのだ。と納得してしまった。
この公園は、1904年に万博が開催された跡地を公園にしたもので、ミズーリ歴史博物館や美術館、おまけに動物園もある483万平方メートルの大きな公園である。地図上では2.5km×1.5kmほどの長方形の公園だが、その周辺を縁どるウオーキングコースをぐるっとまると小1時間はかかってしまった。ウオーキングコースは周辺部だけでなく、公園内を複雑に巡っているようで、いくらでも走り続けることができる。多くのジョガーと気軽に挨拶をかわしつつランニング三昧。しかし、中には本格的なランナーがトレーニングしている場面にも出くわす。
この公園近くのセントラルウエストエンド駅は、私が宿泊したホテルの最寄駅でもあったが、周辺には大学(セントルイス薬科大?)あり、気の利いたレストランも多数あるなど、実にほっとできる空間で、個人的にはダウンタウンより推奨できるスポットだ。しかも少し歩くが、セントルイスの観光スポット・セントルイス大聖堂もこの近く。
バンクーバー、デンバーと巡った北アメリカの旅は、このセントルイスが最後の地。少し時間があったので、フォレストパーク内のミズーリ歴史博物館を覗いてみた。館内の売店に、セントルイスやミズーリ州にちなんだ書籍が置かれていたので、当然そちらに脚が向かった。そしていろいろな本を眺めているうちに、ついにこの旅の中でもっとも重要な発見をした。
先ほど、セントルイスは西部へ向かう人々の入り口と書いたが、USA独立直後の188年代初めに、セントルイスからミズーリ川を遡り、ロッキー山脈を越えて太平洋(ポートランド)まで探検をした人々がいた。ルイスとクラークである。
ルイジアナを購入したジェファーソン大統領は、イギリス、ロシア、スペインなどが狙っているアメリカ北西部海岸への探検を秘書のメリウェザー・ルイスに命じた。そしてルイスが友人のウイリアム・クラークと総勢45人の探検隊を組織し苦労を重ねながら太平洋岸に達したのが1805年であった。
このセントルイスでは当時の探検が語り草となっているようで、今でも多くの関連書籍が上梓されている。このトレイルコースを自転車で走破した冒険談や、ルイスらがどんな動植物と出会い、何を食べていたかなど、様々な観点からの本が並んでいた。私はそのうちの1冊「Adventuring along the Lewis and Clark Trail」を購入。文章を読むためというよりは、トレイルコースの詳細な地図が掲載されていたのが気に入ったのだ。しかも日本ではなかなか手に入らないノースダコタ州、サウスダコタ州というアメリカのマイナーな州(失礼?)の情報を入手するにはもってこいの本だ。セントルイスからポートランドまでは勿論とても走れる距離ではないが、日本人がほとんど行かないであろうノースダコタ州を走る旅はどうだろうか?
などと早くも考えてしまう、セントルイスの旅であった。