ひとつの時代が終わるとき、その時代の支配者が滅ぼされるのは仕方のないことだろう。

しかし、日本の歴史を振り返ると、あまり激しい攻防が行われないことが多い。
江戸から明治への激動の時代も、勝海舟による江戸城無血開城により、
比較的あっさりとひとつの時代が終わってしまった感がある。

そんな日本の例外といえるのが、鎌倉時代の終焉だろう。
新田義貞を始めとする関東の武士団が、一気に鎌倉に押し寄せた。
鎌倉は3方を山に、1方を海に囲まれた自然の要塞で、
入京するには、七つの坂のいずれかを通らねばならない。
このときの鎌倉攻めも、この限られた入り口の周辺で行われた。

この防御線が突破されたとき、
高時を始めとする北条一族は、東勝寺に火を放って自害した。
この東勝寺跡は、鶴岡八幡宮に向かって右手の滑川を越えたところにある。
さらに山を登れば、北条高時腹切りやぐらがある。

実際に行ってみるとわかるが、このやぐらは八幡宮から非常に近い。
おそらく、八幡宮から最短距離で行ける山だろう。
自らが治めた街を一望できる小高い土地。
まさにこのときを予想したかのような場所である。