ビッグスリップと呼ばれる開放的な空間(上)や森の中をひたすら走り続ける。
アイリスバーンハットからモトゥラハットへ
確かに中間点だった。否、まだ本当の中間点までは到達していないくらいの地点だ。ケプラートラックのハイライトと言える山岳地帯を過ぎて、もうレースが終わったかという気分になっていただけに、これからどんなコースが待っているのか不安になってきた。
一緒に山を下ってきた二人のランナーがエイドで一息ついているうちに、私は走り始めた。二人に「先に行くよ」と言っておいたほうがよかったかなと思ったが、引き返すわけにはいかない。割り切ってどんどん進む。始めは林道を走っていたのだが、突然視界が開けた。ビッグスリップと呼ばれる立ち枯れが目立つスペースだ。氷河の流れた跡なのだろうか?しかしここにくると、コースが比較的平坦になったこともあってか、脚を引きずる変な走りながらも安定した走りになってきた。また、前が見通せて他のランナーが見えてきたことも気分転換になった。驚くことに何人かのランナーを抜いてしまった。
「このまま完走できるかもしれない。いや、完走してしまえるのだ。」
昨日まで不安が一杯に詰め込まれた胸の中に明るい光がさしてきた。
お腹がすいた。
そう感じ始めたのは、再び森に戻ったころだった。スタートして6時間。ちょうどお昼だ。そういえば、それまでいくつかのエイドを過ぎたが、置かれているのは飲み物以外はバナナ・オレンジ・グミのような変なゼリーの3品。日本のウルトラではおにぎりやらうどんやら、食べ物の豊富さはおどろくほどだが、海外ではこんなものなのだろうか?あるいはこのレースが違うのか?これを確かめるには別のレースに出てみないとわからないのでが、とにかく確かなことはこの空腹感をどうやって凌ぐかだ。
左脚のことばかり気にして、ウルトラで重要なエネルギー補給対策をあまり考えてこなかったのだが、とりあえずいつもどおり一口羊羹とカロリーメートをウエストバックに入れておいたことを思い出した。山越えの際、既に羊羹はひとつ食べていたが、今はお昼ご飯ということでカロリーメートを二切れかじり、さらに進む。そうこうしているうちに、コースのわきを轟々と流れていたアイリスバーン(渓流)は、いつしか湖に変わった。山岳を走っていたとき教えられたマナポウリ湖だ。木陰に湖を見ながらしばらく行くとようやく湖畔のモトゥラハットについた。アイリスバーンハットを出発してモトゥラハットまで約18km。途中中間点に給水所が一箇所あったが、それ以外はほとんど人にあうことがなかった。時間にして約2時間半。ケプラーチャレンジの本当の勝負どころは、山岳地帯ではなく、この長い林道区間だ。そんなことを考えながら再び走り始めた。
モトゥラハットからフィニッシュへ
モトゥラハットを過ぎると、再び登りにかかった。山というよりはそんなに高くない岡というレベルなのだろうが、ここまでやってきた脚には結構きついものだ。岡を越えると今度は低湿地帯に出る。木製の遊歩道を走る。ときどき板の上まで水が浸かっている箇所があり、靴がぐちゃぐちゃになってしまった。このあたりになると、本格的に一人ぼっちになってしまい、本当に自分はニュージーランドで走っているのか疑わしい気持ちになってしまう瞬間もあった。
再び森に入りしばらく行くと、レインボーリーチブリッジのエイドが見えた。このレースには時間制限が設けられている。このレインボーリーチブリッジに10時間以内で到達しなくてはならない。時計を見ると8時間38分。やった。ゴールまでは走らせてもらえるのだ。
トレッキングをする場合は、この橋を渡ったところから帰りのバスが出ている。たぶんリタイヤした人はその経路で回収されるのだろう。レースもこの橋を渡るのかなと思いそちらにいこうとすると、「もしもし」と言われてしまった。有名な日本語らしい。橋を渡らず直進すると、残り10.9kmの表示が見えた。
このレースで距離表示が出たのはここに来て初めてだ。あと少しでフィニッシュできる。そう思ったとたんに悪い癖で、急に気が抜けて足取りが重くなってしまった。これまでの道はきれいに整地されており、路面はフラットで走りやすかったが、この区間は木の根が張り出しており、結構走りにくい。それも手伝って、一気にペースが落ちた。このままではいかん。日本から持ってきた最後の羊羹をかじりながら、前述のガイドブックで残り距離を確認。うまく気を取り直すことができ、再び走り始めた。
残り5km地点には距離表示と給水所があった。
給水所では必ず「Good Day」の声がかかっていたが、ここでも例外ではなかった。そういえば日本のウルトラではもちろん耳にしないが、日の出から日没まで走る100kmレースにとって「Have a Nice Day」という掛け声はぴったりかもしれない。そんなことを考えながら走りを続ける。
この時間帯になると、歩くランナーがかなり目につくようになった。歩くと言っても、精根尽き果てて歩くのではなく、もはやフィニッシュできることが確定したランナーたちが、トレッキングに切り替えていると言った感じだ。日本のウルトラではゴール間近になると、本当に走れなくなったランナー以外は、そのレベルは別にしてもみんな走るものだ。今日一日を思い残すことが無いように、走り続けるものだ。海外では違うのだろうか?もっともこのケプラーチャレンジは参加者300人、トレッキングコースのウルトラという特殊な環境なので、今回の雰囲気をもってして日本と違うと決め付けるわけには行かないだろう。
いよいよあと1km。
「Good Job」の文字をみながら、ちょっと長すぎる1kmを走る。フィニッシュが近づくと、私のゼッケンを確認してアナウンスが入った。「Special Guest」「from Japan」という言葉が断片的に聞こえてきた。最後の直線で名前のアナウンスがあったので両手をあげると、そのリアクションが気に入られたのか何回も名前を呼んでくれた。そのたびに両手を挙げながらフィニッシュ。完走メダルを首にかけてもらえた。
ゴールでビールとジュースを渡されたが、よく見ると昨日「ポリプロピレン製のロングスリーブシャツ」を貸してくれたお兄さんではないか。結局使わなかったので、その場で丁重にお礼を言って返すことができた。
ゴール地点からはスタッフの車でホテルまで送ってくれた。
長い一日はこうして終わった。
否、ホテルに着くと17時。日没まではまだ4時間もある。まだまだ続くニュージーランドの1日。
参考までに私のラップタイムは以下のとおり。
ラクスモアハット 2時間21分
フォレストバーン 3時間19分
ハンギングバレー 4時間4分
アイリスバーンハット 5時間10分
モトゥラハット 7時間42分
レイボーリーチブリッジ 8時間38分
フィニッシュ 10時間14分
あたたかいスタッフ、すばらしいトラックを作ってくれたニュージーランド、
初の海外マラソンを不安と期待に満ちた刺激的なものに演出してくれた左脚、
そして彼をささえてくれた右脚、
すべてのことに感謝感謝。