コトラーのマーケティング3.0
フィリップ・コトラー(訳 藤井清美)
朝日新聞出版 2010年9月30日
第1部トレンド、第2部戦略のみ(第3部応用は割愛)

マーケティング
1.0→製品中心
2.0→消費者中心
3.0→人間中心(しかし収益性と社会的責任を両立すること)
→協働的、文化的、精神的

現代の生活者は、グローバル化による「不安」から、企業に精神の充足を求めている。混乱のない社会など無いのだが、現代はITの発達により世界中の混乱が直接耳目に入ってしまう。従って生活者が求めている現代の安心感とは、安心安全な商品というだけでなく、グローバリゼーションにより生じた不安感を解消することといえる。単なる物質が求められているのではない。生存欲求よりも精神を感動させる経験を求めているので、企業も物質的な目的を越えた自社の自己実現を考える必要あり(注意しなければいけないのは、企業の社会的意味はPRにとどめてはいけないこと)。何を持って社会貢献するかということを利益中心に考えると、生活者がその企業にもつイメージ(キャラ)から妙に浮いた存在になってしまう。実は企業は、生活者ほどには自社のミッションを理解していないことが多い。社会貢献は企業のミッション(創業時という過去に根差したミッション)から考えること。そうすれば生活者が腑に落ちる社会貢献が見つかる。企業の過去にしっかりと根差したミッションから、望ましい未来像を描いたビジョン。そしてその企業が何を大切にしているかという価値。この3つをしっかりと考えること。ここをないがしろにすると、生活者に大切にされる企業にはなれない。

ソーシャルメディアが発達したことで、生活者が密に結びついて情報を交換している。そのため、企業は自社のブランドを完全にコントロール出来なくなっている。ブランドの評価は、生活者の集合知がどうとらえるかで決まる時代になっている。従って企業は自社ブランドに忠実になり、そのDNAを厳格に守らなくてはならない。また一方で、企業の説明はもはや信頼されなくなり、生活者同士の信頼感の方が高くなっている。うわっつらの説明はすぐにうそと見抜かれてしまう。企業に後ろめたさがあるものは、即座に完璧に見抜かれてしまう。企業(マーケッター)は生活者(消費者)との対立をもう終わりにすべきである。精神に訴えるマーケティングとは、「参加」=生活者だけでなく、従業員もちゃんと参加させること。

創造的社会
今やクリエイティブな人々がハブとなり、生活者が互いに結び付けられている。そしてクリエイティブな人々が何を創造するかは、その人の人間性、道徳性、精神性により決まってくる。そう、現代は精神と創造は不可分の時代。創造的な社会は同時に精神が問われる社会でもある。創造行為は個人的な行為ではなく、社会と結び付かないといけない。

感動を創ること
人々が納得するには、人々を知的な議論にまきこむことと、感動的なストーリーで人々の感情をつかむこと。知的な議論はそのコピーが出回るだけだが、感動的なストーリーは増殖しながら、発信者とは全く異なる人々が語り続けるもの。しかしストーリーが完全でないと、マイナス方向に増殖してしまう危険性がある。そうならないためには何もむずかしいことはない。そのストーリーが本気であること。ウソがないこと。

社員がきちんと参加しているか。本気になっているか。
社員の行動は企業のミッションの半分を占めている。企業文化は企業のコアバリュープラス社員の共通の行動である。組織内の日常の行動がその組織の価値である。社員の行動が伴わないミッションは、むしろ生活者のマイナスイメージを増殖してしまう。従って社員が本気になるストーリーを共有すること。本気のストーリーでないと、社員は生活者以上にそのウソを見破る。まず社員が自社の目的が本物であることを信じること。そしてその社員の行動によって生活者はその企業の本気度を判断する。また社員の価値観は多様である。多様でない企業はその時点で将来の広がりを失ってしまう。多様であるが安定である企業。そのためには共有価値を持っていること。逆にいえば、ひとつの部門がすべてを最終判断しなければならない企業は、共有価値を持てていないことになる。

短期主義からどう脱却するか
企業は短期的な株主の期待より、長期的な業績達成にシフトすべきである。という考えはわかるが、株主に納得してもらうにはどうしたらよいか。例えば環境に配慮する企業になることをミッションにする場合、安定的なサプライチェーン確保でコストダウンするにはグリーンが効率的であることを説明するなど、実質面をきちんと説明できること。

2012年2月25日