2006年4月6~7日 バルセロナ

バルセロナと言えばお約束のサグラダ・ファミリア聖堂

ホテル近くの通り。ゴシック様建築の建物が並ぶ

モンジュイックの丘を登りきったところにあるモンジュイック城

 

 

急遽決まったバルセロナ出張。
もちろん、バルセロナといえば1992年のオリンピックで有森裕子が銀メダルの走りをしたモンジュイックの丘だ。仕事前にひと走りしようと心に決めていたのだが、そんなわけには行かなかった。

なぜ、仕事前に走れなかったのか?
何しろバルセロナの街は、朝7時半にならないと明るくならないのだ。それを知らずに6時に起床した私は、「星空」を見て愕然としてしまった。そのかわりに夜は8時を回ってもまだまだ明るいバルセロナ。仕事を終えてからたっぷり楽しむラテン流の生活は、しかし、この時間帯の設定に大きく影響されているのではないか? 日本の感覚から見ると標準時間帯が2時間ずれているのではないかと思うような中で生活していると、仕事後にもうひとつの生活を持つのに十分な余裕が生まれるのだろう。しかし、私は日本人。とりあえず仕事を優先。仕事が終えた木曜日の夕方と、午後便で帰国する金曜日の朝に走ることに決めた。

4月6日木曜日夕方。
夕方と言っても、まだまだ陽は高い。ホテルから数km東にあるサグラダファミリア聖堂に向かう。
碁盤の目のようにきれいに整備されているバルセロナの街は、初めて走るにはわかりやすいというメリットはあるが、交差点にはすべて信号が設置されているため、いちいち足止めを食ってしまう。歩行者用の青信号が点滅後赤に変わるのは日本と同じだが、赤に変わるとほとんど同時に交差側の信号が青に変わる。すなわち、日本では歩行者用信号が赤に変わっても、車が動き出すまで多少のタイムラグがあるものだが、バルセロナでは赤にかわったとたんに「本当の」赤信号と意識しなければ車にはねられてしまうのだ。
サグラダファミリアの周辺は観光客でいっぱい。ここまで走ってくる間にもジョギングしている人に出会わなかったが、この観光スポットではなおさらだ。バルセロナにはジョギングしている人はいないのだろうか?
しかし、そんなことはないことが翌日証明されたのだ。

4月7日 朝7:15。
この時間に走れる程度の明るさになることは、この日までに確認済である。
今日はいよいよモンジュイックの丘制覇だ。はやる気持ちを押さえて走り出した私だが、とたんに歩道の段差に脚をとられて捻挫してしまった。これは痛い。しかし、走れないことはないので、そのまま走り続行。ここまできたらモンジュイックに登らないわけにはいかないのだ。

有森裕子が、「自分で自分を褒めたい」という名言を残したのは、ここモンジュイックだったか、次のアトランタだったか、私の中ではごっちゃになってしまった。しかし、選手選考にいつもひと悶着ある女子マラソン。一部の批判を尻目に、日本選手で最初にこのモンジュイックの丘を駆け上がったのは有森選手だった。92年といえば私が走り始めたころ。このときの感動が私の走りを支えてくれたといっても過言ではない。その後横浜マラソンで力走する有森選手とすれ違ったり、つい最近では篠山ABCマラソンのコース上で、ランナーを励ましてくれる有森選手とハイタッチをしたり。そしてその後、初めて秋田の100kmマラソンを走ったときに頭に浮かんだ言葉が先の「自分で自分を褒めたい」。とにかく、いままで一番意識した選手が有森選手で、その有森選手を意識するきっかけになったのが、このモンジュイックの丘であった。

モンジュイックの丘に近づくにつれて、脚の痛みも気にならなくなってきた。
丘に登る道にはきちんと歩道がついており、もちろん市街地のように信号はなく走りやすい。そしてジョギングをするランナーも目立つようになってきた。そうか、バルセロナのランナーはここに集まっていたのだ。オリンピッククラスの走りをする人にとっては苦しい坂だろうが、市民ランナーにとっては適度な刺激を与えてくれる絶好のジョギングコースといえる。この丘の標高は173m。2週間前に走った大島の登りに比べたら楽しいものである。

頂上にあるモンジュイック城から港や市街地を望めるが、どうも写真に適した角度は見つからない。諦めて、丘を下り、市街地をホテルに向かって走り始めたのだが、ここで問題発生。どうやら道に迷ってしまったようだ。碁盤の目の街は、わかりやすい反面、どの通りも似たような風景で、一回間違えるとどんどん変な方向に行ってしまう。通りの名前や標識と地図を見比べながら何とかホテルまでたどり着く。時間は9時半。走り出してから2時間以上も経過してしまっていた。

捻挫をしたり、迷子になったり。
一生忘れそうに無いバルセロナ散策でした。