2006年12月29日~2007年1月4日 小笠原・母島を走る

母島の全体像。鮫が崎展望台のたて看板の図を拝借。

剣先山展望台から一望する沖港の集落。

北港への道。長浜トンネルを北港側から臨んだ風景。

南端の小富士へ向かう遊歩道。

乳房山から剣先山へ向かう登山道。しかし怖くて走れない。

両側が絶壁、両側が海、という非常に怖い登山道から臨んだ大崩湾。

 

東京竹芝桟橋から父島・二見港まで「おがさわら丸」で25時間半。さらに「ははじま丸」へ乗り換えて2時間、ようやくたどり着くのが母島・沖港だ。島巡りを志した以上、避けては通れない島。それが小笠原だ。いつかは行きたいと思っていた島。ついに2007年の正月休みを利用して行って来ました。

「おがさわら丸」は概ね1週間に1便しか出航していない。私が行った年末も、竹芝を12月29日に出航し、帰りは1月3日に父島を出航するというスケジュール。1週間以上の休みが取れない社会人にとってゴールデンウイーク・夏休み・正月休みのいずれかで行くしかないという厳しい環境である。もちろん正月休みを狙って小笠原旅行を考えるのは私だけでなく、船のチケットを取るとこだけでも至難のわざといえるのだが、幸いにもチケット発売日の翌日に電話したにもかかわらず、うまいこと席を確保することができたのだが、、、

12月29日 竹芝出航
出航時間(10時)の1時間半前に竹芝に到着。この時間はまだ人は少なかったのだが、出航時間が迫るにつれて乗客が増えること増えること。おがさわら丸の出航を目の当たりにしたのはもちろん初めてだったが、7~800人くらいはいるのだろうか。つりに行く人、もぐりに行く人、自転車を担いでいる人などなど。目的はさまざま。
船内に入って驚いた。2等客室は雑魚寝状態であることは覚悟していたが、一人あたりのスペースは恐ろしく狭い。横幅は50cmほどで隣の人とは肩が触れ合わんばかりだし、縦は1.5mほどではなかろうか。つまりみんなで融通して、脚をずらしあって寝なければならない。

10時15分頃いよいよ出航。
東京湾内は波も静かで、本を読んだり、メモを取ったりして快適に過ごす。12時ちょっと前にはレストランで塩ラーメンを食べるなど余裕たっぷり。何だ、こんな調子で25時間過ごせば小笠原に着いてしまうのか、とちょっと拍子抜けしていたのだが、外洋にでると様子が一変。揺れること揺れること。一気に余裕が無くなり、もはや寝ていることしかできない状態。なにしろ寝ていても手足を踏ん張らなければ隣まで転がりそうな状態だった。

寝たきり状態がひたすら続く。
お昼に横になり始めてから、19時の夕食、22時消灯時のトイレ以外は朝の7時までひたすら横になっているしかなかったのだ。しかも夕食とトイレのときも冷や汗をたらしながらの大仕事であった。

12月30日 母島着
朝7時半。腰が痛くなり始め、これ以上横になっていることができなくなり、ついにデッキへ上がった。この時間になるとそろそろ小笠原群島が見え始めたので、気分を紛らわせることができた。結局父島到着までずっとデッキに立ち続けることになったのだが、船室で眠り続けるよりはかなり快適。本来は11時半に父島着予定だったが、この日は少し遅れて父島への到着は12時15分になっていた。

しかし、今回の旅はここで終わりではない。
父島二見港で船を乗り換え、母島へ向かわなければならない。このははじま丸は2時間の行程なのだが、おがさわら丸以上に揺れた。もはや力を使い尽くした私は、ここでも船室で寝ているしかなかったのだ。

母島に到着したのは15時半ごろ。
今日から4泊お世話になる宿の主人が車で迎えに来てくれていた。宿は快適な個室。驚いたことにテレビも全チャンネル映る。さすがは東京都である。お風呂にもゆっくり浸かることができ、船酔いも少しづつ抜けていったのだが、とても離島とは思えないというのが最初の母島の印象。しかし、島に3軒しかないという売店は超満員。狭い店の中にレジ待ちの行列ができ、明日からのランニング時の飲食物を購入したときには、レジが回ってくるのに30分待たなければならなかった。おがさわら丸入港日の売店は混むとどこかで読んだことがあるが、これほどとは思わなかった。

12月31日 北港まで走る
小笠原を走るにあたり、父島ではなく母島を選んだ理由は実に単純で、ガイドブックの地図を見たとき、父島は道が通じていない地域が多いのに対し、母島は北から南まで一本道がつながっていたからである。母島の集落は、島の北から約2/3の位置に存在する元地の一箇所だけなので、集落から北(北港)を往復する日と、南(小富士)を往復する日を1日ずつ設け、残った1日は小笠原最高峰(?)である乳房山登山をしようと決めて母島に乗り込んだのであった。

世間は大晦日。
朝7時半に朝食をいただき、8時を少しまわったところで既に走り始めていた。地図を見る限りでは片道15kmほどあるのではないかと見込み、時間になるべく余裕を持とうと、可能な限り早く出発したかった。が、しかし町を出たとたんにとんでもない上り坂。普通の山道はつづら折れになっており、勾配はそれほど大きくないものだが、母島の道は真っ直ぐ登って、真っ直ぐ下るという、精神的にも肉体的にも非常に辛い道であった。

その後もアップダウンを繰り返すのだが、走りながら気がついたことがひとつ。道が非常にきれいに整備されていること。交差点(というよりわき道のあるポイント)には、どこに通じているかの標識が付いているし、ところどころに現在地を示した母島のマップがある。また途中に二つのトンネルがあり、出発前は懐中電灯を持っていったほうがよいのではないかと不安だったが、行ってみると全く必要ない。特に二つ目のトンネル(上の写真)などは、ナトリウムランプがしっかり付いており、むしろ明るいくらいだ。

同じ離島でもトカラを走ったときは、本当に集落へ戻れるのか不安になりながら走った記憶があるが、ここ小笠原ではそんな雰囲気は全くない。これが東京都たるゆえんか。小笠原に住む都民がいろんな意味で不自由しないように、様々な配慮がなされているのだろうと、ただ一日走っただけだが、そんな気持ちにさせられる道だった。

北の外れは「北港」。
第2次大戦時に島民が疎開までは、この北港にも集落があった。北港の説明をしている綺麗なたて看板があり、当時の集落の写真が貼られていたが、現在は全くその当時を偲ぶ風景は見られない。港から少し離れたところに小学校跡があるが、これも植物が増えたためか、門しかわからなかった。ぼおっと立ち尽くしていると、バイクに乗った若者がやってきた。私と同じ船で来島した旅人で、私と同じようにまずは北の外れを目指してやってきたとのこと。

帰り道では、多くの車やバイクとすれ違った。先の若者や私だけでなく、とりあえず北港を目指す人が非常に多いということだろう。しかし、普通の人はやはり車やバイクを使うものであろう。と思っていると、向こうから走ってくる人が一人。あとどのくらいで北港につくか、という普通の会話をしただけですれ違ってしまったが、そこは狭い母島のこと、後日再会することができ、楽しい会話をすることができた。

元地に戻ってきたのが11時ちょい過ぎ。
ゆっくり走り、砲台跡などの見所に寄り道したのだが、思いのほか早かった。往復3時間程度。

1月1日 小富士まで走る
世間はお正月。宿の朝食もおせち風。
ここ母島でも10時から「海びらき」と称してのイベントが開催される。飲み食いできる屋台も出るとのことで、どうせここまできたのだから、イベントにも参加しよう。しかし、かといってお酒を飲んだ後で走るわけにもいかないので、結局はなるべく早く走り始め、走り終わったらイベントに合流しようと計画した。

おせちを早々にいただき、7時50分に宿を出発。
昨日の北港とは逆に南に進路をとったが、アップダウンは相変わらず。舗装路の終点までの約5kmは、やれやれ今日もこんな調子かと思う道だったが、昨日との違いは周辺に農家があったこと。昨日「ロース記念館」で小笠原の歴史を学んだが、戦前の小笠原では漁業だけでなく、カボチャ・トマト・キュウリなどの野菜類も商品化していたとのこと。北港まで走った限りでは畑のひとつも見当たらなかったので、いったいどこで野菜を作っているのかと思っていたが、島の南部であった。

舗装路の終点からは未舗装のトレッキングコース。
アップダウンもあるがほぼ平坦な部分も多く、結構ちゃんと走れた。なかなか快適。最後の小富士への登りは結構厳しかったが登りきったところは確かに絶景。ガイドブックに絶対行くことと書いてあったが、その言葉に嘘はなかった。風が強くてちょっと怖いが、行く価値は十分。アプローチのトレッキングコースを含めて実に楽しいランニングが楽しめた。

絶景の小富士から反転。「海開き」に合流するために宿への帰路を取った。
トレッキングコースと、アップダウンの激しい舗装路。しかし実にあっさりとクリアし、宿に戻ったのが10時前。こんなに早く戻ってこれるとは思っていなかった。もしかしたら北港から小富士まで1日で往復できたかもしれない。

さて「海開き」。
港近くの脇浜なぎさ公園のステージでは、何とかという踊りを披露してくれる。驚いたことに屋台の缶ビールは100円。焼きそばも100円なら磯部まき2個で50円という安さ。ラム酒と海がめの煮込みに至っては無料でいただける。何と言う安上がり。

1月2日 乳房山に登る
乳房山は標高462.6mで、父島を含めた小笠原最高峰。元地の集落から乳房山へ。そして尾根づたいに剣先山へ渡り、再び元地に下りてくるというトレッキングコースが整備されている。元日の早朝は初日の出登山ツアーが開催されているし、旅人たちの話しを聞くと、この山に登る計画をしている人も結構いるなど、母島の中では結構な人気スポットのようだ。

乳房山山頂まで約1時間。幸運なことに今日は非常に良い天気で、大崩湾がきれいに見渡せる。ここから剣先山までの道は実に楽しいコース。両側が切り立った絶壁で、左右に海が見える登山道はおそらく初めての経験。元地まで戻って約2時間半。母島の3日間で北港、南の小富士そして乳房山の3箇所を回ったが、どこか一箇所選べといわれたら、この乳房山がお勧め。

1月3~4日 帰路
帰路では船酔いの苦しみを何とか緩和しようと、なるべくデッキにいる作戦を取ったのが成功。雨がぱらつき、寒かったのがきつかったが、船酔いの苦しさから比べるといくらでも我慢できる。東京湾に入ってからは波も静か。今月末に走ることになる千葉の館山も綺麗に見渡せた。しかし実に長い船旅だった。

しかし小笠原は東京都の予算が入っているためか、実に綺麗。道の標識も整備されており、泊まった宿も今風のペンション。走っていても「離島」の雰囲気を味わうことは残念ながらできなかった。片道30時間近くかけて来るには見所は少ないというのが実感だ。ダイバーにとってはコンパクトに整った島だったようだが、走る私にとってはちょっと物足りない小笠原でした。