2003年9月21日 玄海100kmウルトラマラソン
70kmの我慢の後、ついに玄界灘に到達した。しかしとんでもない強風。
玄海100kmの締めは砂浜ラン。夕日の残るうちに走れてよかった。
福岡空港から地下鉄で中津川端駅へ。そこで乗り換えて貝塚駅。さらに西鉄線に乗り換えて約1時間、終点の津屋崎駅下車。歩くこと約5分で受付会場兼宿泊先となる民宿よし田に到着。ゼッケンは上図でわかるようにランナー自ら手書きというユニークな大会。また記念品は手作りの巾着袋。しかもデザインはすべて異なっており、気に入ったものをもらえるのもありがたい。
レースは5時スタートだが、4時ごろからスタッフの車でスタート地点となる宮地嶽神社に輸送してもらう。まだ真っ暗な中、神社参拝をするランナーも多い。4時59分に県外参加者がスタート。その5分後に福岡県ランナーがスタートする。このレースも「いにしえの道」と同様に、前もってA3地図数枚が郵送されていただけに、慣れていない県外ランナーだけで道を間違えないだろうかと少し不安になったものの、結論から言えば、道に矢印、要所要所の電柱などに赤い矢印が貼ってあり、迷うことは少なかった。
しかし、玄海というから「海」のイメージを強く持って参加したのだが、前半はまさに山。福岡県出身で結婚後東京に在住というご婦人ランナーと並走となり、コースについていろいろとアドバイスをもらったのだが、ついでに人生談も伺ってしまった。何とだんなさんとは宮古島100kmで知り合ったとのこと。サロマや阿蘇など主だった100kmに歴戦しているツワモノであった。ここのブドウが美味しいと主張していた脇田温泉エイドのブドウは文句なしに美味しかった。ずっと食べ続けていたかったのだが、まだまだ先は80kmもあるので、先を急ぐとしよう。
脇田温泉を過ぎると、5つある峠の中で最も厳しい間夫峠の登りにかかる。高低差350mの峠は、しかし歩きに徹すると結構快適な道と化す。まわりの人たちと何だかんだ話ながら、いつしか下りにさしかかる。35kmの力丸ダム。コンビニでお金を下ろしたところの40km宮田町と、しだいにランナーがばらけてきた。そういえば、このレースの参加者は110人。45kmから50kmの中間エイドに向かうころは前後にランナーの影は無く、ちょっと不安になることもあった。ともあれ、50kmエイドで腹ごしらえをさせてもらい、そのまま赤木峠越え、そして後半戦への突入である。
初めて100kmを走ったのは96年9月の秋田だが、そのときから50kmを過ぎると70kmあたりまで結構すんなりと走れる私であった。人によると、フルを越えたあたりから中だるみで辛くなることがあるようだが、その点私はラッキーであった。この日も赤木峠をすんなり越え、60kmのコンビニでサンドイッチをかじり、距離を置かず設置されていたエイドでそうめんをいただくなど、ちょっと食べすぎかなと思うくらい。このまま快適に海まで行きたいと思うのだが、このあたりから玄海特有のもうひとつの敵がついに顔を見せた。走るのが困難になるほどの風が吹き始めたのである。
この日、東海地方の沖合いを台風15号が進んでいた。本当はその影響でこの玄海も曇り空になることを期待していたのだが、暑さを感じるくらいの好天になってしまった。暑さに弱い私にとって幸運だったのは、前半適度な風が吹き、体感温度を下げていてくれたからであった。しかし、今はその風が恐ろしい敵となっている。65kmの地蔵峠の上り下り。この間中、常に正面から風を受けることになった。ああ。この風は玄界灘から吹いているのだ。そして今私はその玄界灘に近づきつつあるのだ。とプラス方向に考えようとするのだが、そう思うには風は強すぎた。
73km地点。汐入川のオフロードを走ってついに玄界灘に到達したとき。その風はピークに達していた。サイクリングロードは、吹き上げる砂が体にあたり痛いくらい。しかも平坦だと信じていたこの区間は意外とアップダウンがあり、結構つらいレースとなった。それでも写真を撮ろうとがんばるのだが、風で体がぶれてうまく撮れているか不安になるくらいだった。もう玄海灘はこりごりだ。と思い始めたころ、ついに最後の峠、成田不動尊越えが始まった。
この峠は高低差150mくらいだが、80km地点に立ちはだかるため、もっともつらい区間だった。しかもこの山を越えて再び海岸に出る設定になっているのだが、とても海が近いとは思えないくらい山の中に入るため、「この山はいつ終わるのだろう」と精神的にまいってしまう。そしてもうひとつ。この山を越えるともうすぐゴールだと錯覚していたが、実はまだ残り15km以上ある。2回目の海岸に出たとき、このレースで初めて追い風を受けたが、その風に乗って結構進んだつもりのエイドで、まだ85kmとわかったとき、悪い癖で、精神的にがっくり、ほとんど歩くような走りに変わってしまった。
85kmから90kmの区間は防風林のため見晴らしが利かず、細い道のわりに車も結構走っており、それはつらい走りだった。ずっと下を向いていたので、自分がどの程度進んでいるのか実感がなかったが、最後のイベントである「砂浜ラン」に入ったとき、今更ながら残り5kmになっていることに気づいた。走りにくい砂浜をクリアすると、少しづつペースが速まってきた。だんだんと夕闇が迫る中、地図を片手に着実にゴールが近づいていることを実感。タイムは13時間30分になろうかとしていた。このレースの制限時間は13時間30分。コースの厳しさのわりに厳しい設定だ。本当は100kmレースなのだが、60km地点から20kmほどショートカットする「公認のワープコース」も設定されているくらい厳しいコースだ。(ランナーの間で、これほど堂々とショートカットが話題になるレースも珍しい)
津屋崎の街に入り、最後の直線コースに向いたところで13時間30分が経過した。
時間内完走はできなかった。その2分30秒後、民宿よし田前のフィニッシュラインを切った。
今回のレースは「いにしえの道100km」から中2週で望んだ。今年の春、5月のえびすだいこく、6月のしまなみと、やはり中2週で臨んだときは、しまなみの50km以降はレースにならなかった。それと比較すると、13時間32分30秒で完走できたことは、決して失敗ではない。むしろ自信につながるレースだった。
レース後、よし田から徒歩1分の町営入浴施設「夕陽館」に直行。200円で汗と砂を流せる。自分なりに満足のできるレースだったツケがじわじわとやってきた。初めて100kmを完走したとき経験したのと同様にかなり気分が悪くなってきたのだった。残念ながら完走後の宴会には参加できそうにない。そのままよし田に戻り、朝まで横になることしかできなかったが、繰り返すように中2週で13時間30分。今後に向けて、少しは進歩できる可能性が見えてきた。
しかし、中2週はもうやめよう。