1994年3月13日 日本まん真ん中高速道路マラソン大会
「東海北陸自動車道」開通記念で行われた唯一回のレース。
ぐずぐずしていた私は、前日夕方からようやく車で岐阜へ向かうことになった。
途中浜名湖付近のサービスエリアで仮眠をとり、早朝暗いうちに会場にたどり着いたが、真っ暗で周囲の様子がまったくわからなかった。どこがスタート・ゴールだったのか、もう開催されないレースだけに二度とわからない。生涯の謎となるであろう。
レースは当会北陸自動車道を複雑に往復するコースだった。
ロードマップを見るとわかるように、この道路はトンネルだらけ。
42キロの半分くらいはトンネル内を走っていた印象があるが、もっと印象的なのは、ゴールの後。「あれっ。こんなところがゴールなの?」というところにゴールがあった。それというのも、スタート地点に荷物を置いてきたはずなのに、ゴール地点とスタート地点は3キロほど離れている。
ということは、あと3キロ走らなくちゃいけないの?
そのとおりでした。
帰路。勿論車で高速をとばしたのだが、神奈川-岐阜間を運転し、しかもフルマラソンを走るという作業はどれほど辛いものか。これに懲りた私は、これ以後こんな強行スケジュールは組んだことが無い。
途中、足柄サービスエリアでお風呂に入っているときのエピソード。
後から入ってきたトラックの運ちゃんらしきおっちゃんが私に向かい、
「兄ちゃん、長距離かい?」
なぜ、私がフルマラソンを走ったことを知っているのだろう?
思わずYesと言いそうになった私である。