2007年9月17日 京丹後100kmウルトラマラソン

レース前半。久美浜湾を臨む。

七竜峠から日本海を臨む。

 

北近畿タンゴ鉄道宮津線・網野駅から送迎バスで約10分。体育館や地場物産販売所を併設するアミティ丹後が100kmのスタート・ゴールの会場。前日受付の後、各宿にバスで送ってくれるし、各宿から早朝には会場まで車を出してくれる。正に町を挙げての大会。スタート前の開会式で、「1000人のランナーに1000人のボランティア。マンツーマン体制で運営します」との挨拶があったが、その言に嘘は無い、実に温かい大会だった。

スタートは4時半。
台風接近のため、同日開催される予定だった「玄海ウルトラ」が中止になり、宮崎県では列車が横転するなど、空は荒れ模様。丹後では朝起きたときは雨は降っていなかったものの、スタートが近づくにつれてぱらぱらと来始めた。丹後入りした前日も降ったりやんだりの天気だったので、たぶん今日一日もこんな天気が続くのだろう。と思いながらのスタート。しかし、これが完璧に裏切られることになった。

9月中旬の日の出は遅い。
4時半にスタートしてすぐに七竜峠越えに挑戦するのだが、このときはまだ真っ暗。ペースはなかなか安定せず、このためにオーバーペースになってしまったとの声がレース後に聞かれるような状況だった。1時間ほど走ると道の状況が把握できるようになったが、それまでは懐中電灯を持って走ったほうがよいのではないかと思うほどだった。

このレースは網野をスタートしてまず西へ向かう。前述の七竜峠を越えて久美浜湾を一周、再び七竜峠を越えて網野へ戻る約50kmの前半戦。その後丹後半島のど真ん中を進み、碇高原牧場の400m峠、そこから日本海へ一気に下って80km。残り20kmは大会パンフレットの高低図上ではほぼ平坦というコース設定。しかし同室の「先輩」からは、80km以降のアップダウンが結構きついという情報を得ていたので心してかかるつもりで臨んでいた。

久美浜を一周。コースの真正面に海が広がるというシャッターチャンスを待ちながら走ったが、なかなかそんな景色にあたらない。海沿いといっても展望が開け、海が実感できるコースではないようだ。そうこうしているうちに、再び七竜峠の登りに入った。同じ峠でもスタート直後と40km近く走った後では「あじわい」が全く違う。高低差は後半の碇高原から比べると半分以下だが、結構きつい。朝くらいときにはわからなかった美しい日本海が唯一のなぐさめといったところ。

45kmのエイドではうどんがサービスされた。
本大会の特徴は各エイドに一口羊羹が準備されていたこと。エイドごとにひとつずついただいていた私は、これまでのウルトラでは必ず経験していた空腹感は感じず、胃袋の状態は結構快適。しかし、このうどんのエイドを境にレース状況ががらっと変わってしまった。

何と太陽が顔を出し始めたのだ。
台風の覚悟はできていたが、サンケア対策は全く無防備。じりじりと肌が焼け始める感覚。実は7月中旬に左ふくらはぎを痛めていた私は、レース前にサロメチールをすりこんでいたのだが、ここに太陽があたると焼けるように暑く感じる。これは新発見だが、体に悪いことはないのだろうか、などと考えていたことが結構気分転換になったのか、碇高原への登りが始まる60km過ぎまですっと走れた。登りになればなったで、急勾配のところは開き直って歩きを入れたこともあり、それほどのつらさは無い。道端の自動販売機で頻繁にお茶を調達していたためか、暑い中、給水量が増えても胃が痛くはならない。やはり給水は水よりお茶の方がよさそうだ。次にウルトラを走るときはティーバックを準備しておこう。

60kmから始まる登りは65km付近でいったん下り、また一気に上る。
高低図ではそのように理解していたが、二つ目の登りはなかなか来なかった。しかしおそらくこれは気のせいで、だらだらと上っていたのだろう。歩かなければならないほどの本格的な登りを少し頑張るといつの間にか下りに入っていた。碇高原のエイドに置いていたメロンパンとミルクティーを摂るが、前述のように一口羊羹のおかげでそれほど空腹感はない。もったいないがメロンパンを半分ほど残してここから10km続くくだりに入る。

ふくらはぎ痛発生から2ヶ月経過していたので、かなり回復していたのだろう、ここまでは痛みも出ずにうまく走れた。もっとも脚を引きずるようなかっこ悪い走りではあるが。一般にふくらはぎは登りで痛めると思われがちだが、過去の経験から下り坂の方が要注意である。この10km続く下りも、もう少しスピードを出したいのだが、ぐっとこらえてブレーキをかけながらの走り。後ろのランナーたちに結構追い越されたが仕方が無い。

80km。
これまで下り坂が続いたので、平坦コースになっただけで結構つらく感じる。しかも80km以降はアップダウンが無いどころか、精神的には碇高原よりつらく感じるほどの上り坂が待ち構えていた。併走するランナーたちと、「この上り坂は反則だ!」という無言の会話をかわしつつ1kmずつ歩を進める。85kmを過ぎると60kmコースと合流し、まわりに人が増えてきた。88km地点でのおしるこ、94km地点のお味噌汁。気がつけば暑い一日は終了し、いつしか雨が降り始めていた。

残り4kmほどになると、網野の民家の中をごちゃごちゃと走る。
アミティ丹後に到着。と思うと、体育館の中でくつろぐランナーを横目でみながらさらにぐるっと一周走らされた。ゴールではひとりひとりの名前をアナウンスしてくれる。「脚が痛いけど、それももうすぐ終わりです」というアナウンスは私に宛てたものだった。自分では気がつかなかったけど、ふくらはぎをかばう走りは傍から見ると足の痛みをこらえているようにみえたのだろう。

ゴール後はとにかく体育館に転がり込んで着替え、そして宿へのバスが出るまで横になっていた。ふくらはぎ痛の不安、練習不足、暑さとの闘い、そして丹後コースの強烈なアップダウン。これだけの悪条件の中で、それなりにまとまった走りができたのは特筆もの。温かい声援に包まれた丹後の一日。さあ宿に帰ってお風呂に入ろう。