2008年9月28日 第1回菅平スカイライントレイルラン
ウシの間をぬっての前進。急に走り出したらウシに追いかけられそう。
恐ろしい直滑降。本当に転がり落ちたくなる急勾配。
長野新幹線の上田駅から菅平高原行のバスで小一時間。国際リゾートセンターがメイン会場。
前日にここで受付し、当日はここから少し離れた日の出ゲレンデがスタート。前半は会場東の四阿山(あずまやさん)や小根子(こねこ)を巡った後、一旦スタート会場近くまで戻り、後半は西のつばくろ山、大松山を回る八の字コース。前半は高低差800mの厳しいが見晴らしの良いコース。後半は高低図上は大きなアップダウンはないが、実際には上りも下りも走れないほどの急坂が続く森林コース。
7月におんたけの100kmを走ったとき、いつものジョギングシューズで臨んだため異常に走りにくかった。トレイルレースにはもう参加するまい、と思ったのもつかの間、ついついトレイルラン用のシューズを購入してしまった。購入してしまったらどこかのレースを走りたくなる。何かいいレースがないかとインターネットをめくっていると、このレースを発見。私が見たときは35kmレースだったことから、ほどよい距離と判断してエントリーを決めた。しかし、その後環境保護のためコースが変更されて40kmになってしまった。35kmと40kmとではずいぶんと印象が違うが、さらにさらに、予想外の事態が待っていた。
朝7時に日の出ゲレンデをスタート。ゲレンデというくらいなので目の前にスキー用のとんでもない急坂が控えている。まさかここを登るのではないだろうな、との不安的中。スタート直後から歩いても苦しいほどの急坂を登ることになった。あっと言う間に隊列は超縦長に。もちろん上りも下りも苦手な私はほとんど再後方に置かれてしまった。その後アップダウンを繰り返しながら野口みずきクロカンコースに入る。このコースは200m毎に標識がついており、このレースの中では比較的走りやすい。いい調子で走っていたが、実はこれが落とし穴だった。
ふと見ると、前で10名ほどのランナーが立ち止っているではないか。一人がケータイで本部と連絡を取っている。そう、この野口みずきクロカンコースは、このレースのコースではなかったのだ。私の前後約20名ほどが完全にコースアウトしてしまったようだ。結局ロスタイムは30分になるだろうか。なんとかみんなで正規のルートに戻ったのだが、ここから本格的な上りが始まった。
四阿山中腹1975mと小根子2127mの二つのピークを越える。ちなみにスタート地点は標高1300m。覚悟はしていたが特に小根子の上りがきつかった。私が上りにかかったとき、すでにトップランナーはこの坂を下っていた。何と差がついてしまったものか。ともかく回りに惑わされず、マイペースで登ろう。と心に決めて臨んだが、これがきつい。登山客より遅いのではないか、と思うほどの情けない歩き。しかも高山病気味の頭の重さが襲う。
小根子2127mの山頂は風が強く、非常に寒い。しかし、何とここにも男子高校生がスタッフとして立っているではないか。これには頭が下がった。感謝感謝である。山頂でトレイルシューズのひもをきっちりと締めなおす。実はこれまでシューズの中で足が暴れており、非常に走りづらかったのだ。ここから第1関門までの下りは非常にガレており走りづらいとの前情報があったことから、このままのシューズ状態では危ないと判断したのだが、これが効いたのかこれまでのコースに比べたら結構走りやすく、何とかやりすごせた。
約27kmの第1関門のエイドではバナナやコーラをいただく。
距離もあと10kmちょい。アップダウンもそれほどではない。
軽い気持ちで後半戦に臨んだのだが、どうも様子が違う。勾配が結構きついではないか。上りは走れないくらいの急勾配。下りももちろん同じ勾配でこれまた走れない。おまけに直滑降に使うようなとんでもない急斜面を下らなければならない。気を抜いたら転がり落ちてしまう。シューズの中で足がずるずると前に滑り、親指がシューズの先端にぶつかりとても痛い。これまで20年近く走ってきたが、こんな経験は初めてである。足に合ったシューズを履いていたらこうはならないのだろうか?
山をおりて林道に入ったらあと約3km。
やっぱり私は舗装路を走るのが合っているのだろう、ようやくと生き返った走り。40kmプラスコースアウト分を9時間近く走り続けた一日がようやく終わった。ちょっと走ろうと参加したレースだが、なかなかどうして、制限時間10時間はだてじゃなかった。
菅平はスポーツの町。
ゴール後は会場のすぐ近くのホテルでゆったり入浴できる。昨日泊まった宿もいいお風呂だった。さすがは合宿の町。コンビニもあるし、夏の平均気温は19.6°とすごしやすい。このレースにこれから参加するかどうかわからないが、菅平という町にはまた来てみたい。実に魅力たっぷりの町でした。