2004年2月14~15日 大村湾一周ウルトラマラソン160km

大村湾の夜明け。俵頭付近だと思う。

120km付近。ハウステンボスを臨む。

 

 

JR佐世保線武雄温泉駅下車。JRバス嬉野温泉行で終点嬉野温泉下車。
バスターミナルから徒歩5分。温泉旅館「松園」がスタート・ゴール。
嬉野温泉スタート後、「距離合わせ」のために迂回した後、俵坂峠を越えて大村湾(東彼杵)に出る。その後はひたすら大村湾を廻るのだが、大村市から諫早を経て長崎市内へのルートは内陸の峠越えコースになっている。時津から再び大村湾に出て、その後はオランダ村、西海橋、ハウステンボスと巡った後、再び東彼杵から峠を越えて嬉野温泉に戻る。レース1週間前に地図を届けてもらえるが、B5版の大きさに、実に18ページに渡るコースだ。

私にとって初の100km超となったレースだが、走り終わった今になっても160km走ったという実感が沸いてこない。ましてやスタートした2月14日14時の時点では、どのくらいのスピードで、どのくらいの時間走れば再び嬉野に戻ってこれるのか、全く見当がつかなかった。
このレースの正規のスタート時間は16時だが、2時間ごとのアーリースタート制になっており、今年は12時(お昼)にスタートした人が多かったようだ。それに対し私がスタートした14時にはたった4人のランナーしかいなかった。どうもこの少なさが先に述べた実感の無さにつながっていたのかもしれない。何しろ4人中2人には、あっと言う間に引き離され、40kあたりまでかろうじて前後して走っていたランナーにも、長崎へ向かう車しか走らないさびしい道でついていけなくなってしまった。

35kmを過ぎたあたりから暗くなり始めた空は、諫早では暗闇と化し、長崎市内へ向かう道では一人ぼっちになってしまった不安と、エイドにもしばらくお目にかかれない不安から、本格的に道を間違えてしまったのではないかと本気で思い始めていた。それだけに2時間遅くスタートしたランナーに抜かれたときは、もう抜かれてしまったという気持ちより、ああ、この道でよかったのだ、という安心感の方が大きかった。そして、長崎へのトンネル越えの手前のエイドでは、スタッフも含めて10名ほどの仲間に逢えたときは、本当にやすらぎを感じた私であった。

エイドで出会った2人のランナーにひっぱってもらい、長崎駅までは何の不安もなく走ることができた。しかし、時計を見るとちょうど0時になっていた。70kmで10時間が早いのか遅いのか。そんなことを考えているうちに、またひとりになってしまった。ここから、日並公民館のレストステーションまで10kmほどのはずだが、行けども行けども公民館は見えてこない。これは本当に道を間違えてしまったようだ。残念ながらこれだけ大きくコースアウトしてしまうと、ちょっと回復できないだろう。とリタイヤ後の言い訳を考えながら、とりあえずアリバイ作りのために深夜営業のお弁当屋さんのやさしそうなおばさんに公民館の場所を聞いてみた。

何とここから15分ほど行ったところに公民館は存在しているそうだ。そして私のほかにも公民館の場所を尋ねていったランナーがいたようだ。幸か不幸か、レースは続行できるようになってしまった。

日並公民館のレストステーションは何と畳の部屋だった。
この部屋に入る前は、ここでリタイヤしてもいいかなと思っていたが、畳に座ってうどんをいただいているうちに大きく気が変わった。「ここは早く出発しなければあぶない」
レストステーションを出たのは2時半ごろ。本格的に回りの景色がさびしくなっていく。レストステーションからは5人くらいで出発したのに、あっという間にひとりぼっちになった私は、眠気と闘いながら歩を進めていく。薄手のトレーナーにウインドブレーカー。下はジャージだけ。結局このスタイルで冬の長崎は乗り切れそうだ。

少しずつ東の空が白み始める。鶏の鳴き声が聞こえる。
オランダ村付近では完全に夜が明けていた。公民館のレストステーションから随分と時間が経ったように思っていたが、まだここは110kmのエイドステーションだった。お昼頃にはゴールが見えてくるのでは。昨日まではそんなことを考えていたが、本当の大村湾一周はここからだった。妙にアップダウンが多く感じられ、平坦な部分は無いに等しい。西海橋を過ぎ、見え始めてからたどりつくまでひたすら長かったハウステンボスを過ぎ、川棚町に辿り着いた。ここが140kmだ。先が見えてきたではないか。

と思ったが、まだまだ甘かった。
ここから東彼杵までは海岸のアップダウンが続き、東彼杵を越えてからは、このレース一番の難所、嬉野へ向かう峠越えが待っていた。一応の制限時間である16時は峠を超えたところで過ぎてしまった。下りにかかっても脚の運びは重いままだ。少しずつ温泉旅館「松園」が近づいてくる。そういえば宴会は17時からだった。ゴールテープを切ったら、そのまま温泉に浸かって、ご飯を食べて、ゆっくり朝まで眠ろう。

26時間40分。ゴールテープを前に記念撮影。
よくまあ走り続けたものだ。でも、本当に160km走ったのか。本当に徹夜で走ったのか。始めに書いたように、どうも実感がわかない。充実できるレースは100kmまでだな。と思いながら走っていたが、100km超レースを実感するには、もう一度走って見るしかないのではないか。ああ、恐ろしい。そんな「悪魔」のささやきが少しずつ大きくなっている。そういえば、5月の萩往還250kmには既に申し込んでしまった。大村湾にしても、萩往還にしても、一生に一度の経験になるのだろうか、それとも。。。

一風呂あびて宴会場に向かうと、おどろくほど多くのランナーやスタッフが参加していた。
深夜ひとりぼっちで走った身に、この温かさはこたえられない。一晩中ランナーを支えてくれた多くの人に感謝感謝。