2002年10月12日 えちご・くびき野100kmマラソン

日の出を拝みながら、爽やかに走る序盤

ついに始まった峠越え。「雨のえちご」を完全に裏切ってくれた秋晴れの一日。

2年に1回開催される大会も今回が4回目。雨に降られることが多く、第1回大会は雨と風を海沿いの道でまともに受ける過酷な条件で、あのレースを経験したらどんなレースでも怖くないと当時の参加者が語っていた。そんな意識が強く働いてか、雨の中を1日走ることをイメージトレーニングしていた私の期待は大きく裏切られてしまった。雨は一滴も落ちず、予想最高気温は25℃の好天。天気がよいと普通の人はうれしいのだろうが、私の場合、過去8回の70超kmのレースのうち雨の降らなかったのは2回だけ。しかも、その2回とも途中リタイヤという大変強い負のイメージを持って走り始めることになった。

このレースはJR直江津駅から大会用のバスで10分ほどのリージョンプラザ上越をスタートし、前半平坦、中盤は5つの峠越え、終盤は再び平坦に戻って頚城村希望館がゴールのほぼ周回コース。前日、当日と直江津駅、高田駅からリージョンプラザまで専用バスを出してくれる。また、ゴール後も希望館から各駅にバスが出ており、参加者にとってはありがたい。

朝涼しい中快調に走りすぎたツケは、どんどん気温が上昇し始めた中盤に出始めた。さらにこれでもかと繰り返される峠越えでじわじわとエネルギーが奪われていく。ああ。これでは暑さに負けてリタイヤした「えびす・だいこく」のリプレイだ。

何かを変えなければいけない。
もともと雨の中、ずぶぬれで走ることを覚悟していた私は47kmのトランジットで、Tシャツに水をぶちまけてぐちゃぐちゃにしてみた。これが結果的に正解だった。体温を下げるという実質的な効果のほか、気分転換にも効いてくれた。しかし、その日の暑さはこのTシャツが5kmも走らないうちに乾いてしまったことに現れていた。10kmほど走って再び水を浴びた私は、5つの峠を無事クリアして78kmの2つ目のトランジットにたどりついた。

ここでTシャツを替えるために椅子に腰掛けたのが失敗だった。一気に気分が悪くなり、お蕎麦をもらってものどを通らない状況になった。ふらふらと走り出し、朦朧とした頭の中で85kmの関門11時間25分のことを考え始めた。結構厳しいのではないか。そう気がついてから、長い長い時間との闘いが始まった。

85kmの最終関門を通過して、残り時間2時間15分。5kmを45分で行けばクリアできる計算だが、90kmを超えたところでパタッと止まってしまった。残り時間も正確に判断できなくなっていた。道端に座り込んでしまった。そんな私を救ってくれたのは「あの」斎藤さんだった。傘をかぶった完走請負人。この日は同じ巨人軍団の仲間とゴールを目指していた。
「この人について行こう」
意を決した私は不思議なことに、また走り始めていた。残り5kmで信号待ちに引っかかってしまったが、「残り5km。あと44分。ぎりぎりだけどみんながんばるぞ!」という斎藤さんの掛け声に自然に反応したのは私だけではなかった。信号が青に変わり、斎藤さんを先頭にした集団がゴールを目指して動き始めた。

13時間30分の制限時間に6分ほど残してゴールテープを切ることができた。ボランティアの中学生がランナー一人ひとりをフォローしてくれるありがたいサービスが受けられた。入浴サービスもあり、コースは厳しいがゴール後は温かい大会だ。

ウルトラマラソンは毎回新しいことを教えてくれる。
にちなんおろち」のときは、完走することが大切なことで、制限時間は関係ないと思った。しかし、今回は制限時間にこだわる大切さを教えてもらった。確かに制限時間にこだわらなくてよいなら、95km以降もぼちぼち走れば100kmにたどりつくことはできた。しかし、ゴールテープを切ったときの充実感は、これほどは得られなかっただろう。

もう走れないと座り込んだ自分が、時間内にゴールテープを切っている。
厳しい峠越え。暑さ。時間との闘い。
半日も走り続けたわりには、ものを考える余裕が全く無いレースだったが、ウルトラマラソンは「こころ」のスポーツであるという大切なことを教えてくれた。