2007年9月22~24日 佐渡島一周 エコ・ジャーニークラブ ウルトラ遠足206km
スタート後、まだ暑いころの佐渡。
雲行きが怪しくなる。大雨一歩手前の佐渡。
佐渡島両津港近くの「みさき公園おんでこドーム」がスタート・ゴール。反時計回りに佐渡島を本当に一周してしまうレース。1日目早朝6時スタート、3日目の早朝6時までの制限時間48時間のレース。主催者が用意してくれた宿で前泊およびレース後の入浴・仮眠ができる。エイドは206kmで6ヶ所と少ないが、その充実した内容は特筆もの。時間はたっぷりあるので、ゴールを目指す気持ちさえ持続できれば、佐渡をまるごと堪能できること間違い無し。
100kmを超え、徹夜で走るレースは今まで一度しか走っていない。そのレース「大村湾一周」の直後に腰を痛めたこともあり、徹夜レースには正直よいイメージを持っていなかった。今回の佐渡一周も「島一周」という私の興味をそそるワードがなければ、決して参加することはなかっただろう。「島」の魅力と「徹夜レース」のマイナスイメージを天秤にかけて、今回思い切って参加することに決めた。9月
という月は、来年から秋田の100kmが復活するので、佐渡は今回が最初で最後のチャンス(?)かもしれないという気持ちも出走の決意を後押しした。
22日 6:00 スタート おんでこドーム
きれいな朝焼けの中スタート。ランナーは50名と少人数だが、ほぼ全員がゆっくりペースなので意外とばらけずに集団で走る。気温はじりじりと上昇。朝8時の時点ですでにこの日の最高気温になっていたのではないか。まわりのランナーと情報交換しながらペースはだんだんと落ち着いていった。だいたいこんなペースで走り続けるんだろうなと思っているころに第1エイド着。
22日 10:15 32.6km 第1エイド はじき野フィールドパーク
うどん、おにぎり、焼き魚・ウインナー類。ちょうどお腹が空いている時間帯だったのでいくらでも食べていたかったのだが、そろそろと腰を上げて走りを再開。また暑い中を走るのかと思いきや、このときから空模様が一変。ぽつぽつと雨が落ちはじめたかと思うと、38km大野亀島の雄大な景色を過ぎたあたりで本降りに。
雨と共にランナーもばらけ始めた。前後にランナーいない状況がしばらく続いた後、50km付近に久々に現れた自動販売機の前には5~6人のランナーがたむろしていた。エイド間が30km以上離れているこのレースでは、前半にはこんな風景が多く見られた。
22日 16:57 75km 尖閣湾付近
小降りにはなってきたが、雲が空を覆っているために早くも薄暗くなってきた。
相川の町が近づくにつれて車の交通量が増えてくる。相川町の24時間営業コンビニでアイスをかじった後は、本格的な夜の走りとなった。ライトを照らしての走りは前述の大村湾以来で不安な気持ちがあったが、ちょうどコンビニに吸い寄せられるように2人のランナーが合流。少しづつ暗闇の走りに体と気持ちが慣れてきた。
22日 18:54 90.5km 第1仮眠所 ホテルめおと
まだ90kmなので、食事を済ませたらみんな走り始めるのもと思っていたのだが、どうも様子が違う。お風呂に入る人、仮眠する人がほとんど。そんな準備をしていなかった私は、早々に走り始めたのだが、まわりには本格的に誰もいない状況が続く。スタートから12時間以上経過し、まわりには誰もいない。第1仮眠所を出発したときは何も感じなかったのだが、だんだんと疲労と眠気を感じるようになってきた。
22日 21:34 104.5km 第2仮眠所 海の家さわた
佐和田の町はまつりでも行われているのだろうか、若者が行き来し、こんな時間に走っている私が浮いた存在に見えてきたころに第2仮眠所着。スープを飲みながら、このまま走り続けようか、少し休もうかと悩む。これまでレース中に仮眠したことはもちろん無い。100kmも走った後で横になってしまうと二度と走れなくなってしまうのではないか。しかし、このままでは睡魔はますます大きくなり、大村湾のときに感じたような、走ることに対する倦怠感がやってくるのではないか。
悩んだ末に、思い切って仮眠。そのままの服装で眠るのはいやだが、かといって着替えは用意していない。仮眠所に誰もいないのをよいことに、素っ裸になって毛布にくるまる。1時間仮眠するつもりが、走りを再開したのは2時間後になっていた。吉とでるか凶とでるか。
23日 3:00 121.4km 海岸への分岐点
走り始めると体が軽い。第2仮眠所から走り始めた途端に道がわかりにくく、30分ほどコースアウトしてしまったが、そんなアクシデントがあっても、精神的には余裕たっぷり。真っ暗な中走ることが楽しくすら思えてくる。120km地点でわかりにくい分岐があると聞き、不安に思っていたときに2人のランナーと合流。3人で分岐を確認して先に進むが、ここから先はすごかった。
海岸沿いのオフロード。しかも真っ暗なので、走ることはできない。ライトは足元に向けざるをえないので、まわりの様子がまったくわからない。波音はすぐ近くでするので、海岸沿いを走っているのは間違いない。いつしか2人のランナーも先に走り去り、不安な走りとなる。結果的にはコースアウトはしていないのだが、地図で道を確認しながらの走りになったので、妙に時間がかかる。気分転換に途中自販機脇で横になったり、ゆっくり歩いたり。
23日 6:22 137km 第3エイド 深浦展望台
空が白み始めたころに夕べとは別の2人のランナーと出会う。道もはっきりわかるようになったことも相まって、急に元気が出る。現金なものだ。
スタート後24時間でどこを走っているか?
スタート前はいろんな予想をしていたが、137km地点の沢崎の岬を回っていることは間違いないと思っていた。しかし実際には岬から少し先の第3エイドについたのは6時22分。105km地点のコースアウトを考え合わせれば、24時間でちょうど沢崎岬というところか。
第3エイドで私を含めた3人のランナーは思い思いの朝支度。歯を磨いたり、トイレに行ったり。私は90kmの第1仮眠所でもらった2個のおにぎりを頬張る。不思議なことだが夕べは2時間しか寝ていないのに、朝をむかえると体がしゃきっとする。
23日 10:40 159km 赤泊
137kmの第3エイドから170kmの第4エイドまではずいぶんと長い。海岸沿いの何の変哲もない道をひたすら走る。右手に海を臨む歩道。歩道と海の間は人の肩ほどの高さの堤防で仕切られている。海沿いを走るレースを数多く走ってきたが、こんな道をよく見る。いったい自分は今、何県を走っているのか、精神的な疲労も相まって、そんなことがとっさにわからなくなっている。
23日 12:20 170km 第4エイド 松ヶ崎
このエイドに着く少し前に、5時間ぶりにランナーと出会った。エイドではスタッフを含めてわいわいと会話が弾む。スタッフの方々もランナーと話しができる時間は極めて少ないだろう。それでも温かく我々を迎えてくれる。感謝感謝である。
午前中は適度な風があり暑さは感じなかったが、このころから日差しが強くなる。サングラスを装着して走りを再開。この後の走りは、歩きが半分混ざる走り。この日の朝にNHKでこのマラソンが報道されたようだ。沿道のおばちゃんがときどき声をかけてくれる。
「歩け歩け大会ですか?」
と言われたときは寂しかった。本当は走っているのだが。
23日 16:43 193km 姫崎
佐渡島には大きな岬が4つのあるが、このレース最後の岬が姫崎。しかし、170kmの最後のエイドを過ぎてから、それらしい岬が次々と出現。地図を見ても自分がどこにいるかよくわからない。もうそろそろ姫崎だろうと思ったころに、久々のランナーと出会う。道端の地図を二人で眺め、姫崎はまだ5kmほど先だと確認。開き直って座り込み、新潟の町で購入してきたカロリーメートを食す。岬をまわってゴールまで走る。これが最後のエネルギー補給だ。
23日 18:28 206km おんでこドーム
先が見えてくると不思議と脚が前に出る。もちろん上り坂は歩き、下りに差し掛かると勢いをつけて走り始める。いつしか姫崎を過ぎ、正面に夕日と両津の町を臨みながら走り続ける。そろそろゴールが見えてくるかと思ったころ、両津港まであと10kmの標識。あとちょっとの距離ともいえるし、100kmレースの残り10kmといえば、スパートには少し早い地点だ。暗くなる前すなわち18時前にゴールしたいと思っていたが、ここであせっても仕方がない。ゆっくり、しかし確実に、一歩一歩進む。まだまだ遠い港の灯。再びライトを点灯。36時間ぶりに再会したおんでこドームではスタッフ1名とビールが待っていた。
23日 20時 仮眠所
仮眠所といっても21日に宿泊した宿。ランナーはばらばらとしか帰ってこないので、ひとりゆっくりと入浴。大広間で豚汁とおにぎりをいただく。部屋にはきちんと布団が敷いてあり、仮眠ではなく、きちんと休むことができる。
自分にとって2回目の徹夜レース。
レース中に仮眠をとったことも、途中の自販機や商店でゆっくり休憩したことも、これまでにはなかった。今回の佐渡はレースというより日常生活に近かったのではないか。眠くなれば横になり、お腹がすけばたっぷり食べる。ウルトラというものがまた少し自分のなかで変化し始めた。
来年は萩往還にでも挑戦するか。