2002年02月24日 吉備路マラソン
岡山駅からJR吉備線で総社方面に乗り東総社駅下車。
ランナーらしき人々の後を着いて行くと、15分ほどでスポーツセンターに到着。体育館内で着替えができるし、荷物も置いておける。冬場のレースには何よりありがたいことだ。
コースは、このスポーツセンターから吉備津神社方面へ向かい、小回り1周、大回り1周する変則2周回コース。さすがに古代に栄えた「吉備国」らしく、古墳や神社が次々に現れる。中でも目を引くのが国分寺の五重塔だ。5km、15kmの2回目の前を通るのだが、余裕があるときだけに、「ああ。私は今、吉備の国を走っているのだ」と妙に実感できる。
25km前後で吉備津神社、吉備津彦神社を通るのだが、ここが一番人出が多い。「あっ!吉備団子を配っている!」と気付いたときは既に遅く、取り損なってしまった。折り返してから貰おうと楽しみにしていたが、帰路既に終了していた。これだけが心残りの吉備路である。
フルマラソン参加者は約2000人。多くも少なくもなく、ちょうど走りやすい環境だった。ただ、35km前後の一番つらいときに、一番殺風景なコースを走る設定になっていたことが残念だ。
今回もうひとつ残念なことは、前日家を出るのが遅くなって、岡山の街をゆっくりと散策することができなかったことだ。今の岡山市が備前の中心となったのは1574年から。それ以前は少し東寄りの「備前福岡」という街だった。福岡城や福岡の市がたった場所だが、吉井川のたびたびの洪水に見舞われたため人々は現在の岡山へ移っていったそうだ。
実はこの吉野川は大変重要な川である。備前福岡の隣町「長船」は刀鍛冶で有名。少し上流に行くと明治から昭和にかけて鉱山で栄えた柵原という街がある。さらに上流に行くと、美作の要地・津山だ。そしてここも刀で有名な地でもある。さらにさらに上流に上れば、上斎原という砂鉄で有名な街があり、ついに鳥取との県境に至る。
一環して言えることは、この吉井川流域のキーワードは「鉄」である。「銅」については全国で産出される日本列島であるが、利用しやすい「砂鉄」の産出は意外と偏っており、山陰・東北太平洋側・九州に限られている。それを考えると、九州-京都をつなぎ、人々の往来が多かったと思われる瀬戸内地域で、かつ当時のハイテクの中心である「鉄」を持つ吉備の国が重要な地位にあったことは頷ける。
時間があれば、吉井川沿いの街をふらふらと訪ねて見たかった。
鳥取県、島根県はこれから走らねばならん県である。機会を見つけて、何とか実現したいものだ。