2002年5月26日 えびす・だいこく100kmマラソン

島根県は島根半島の東端・美保関から西端・出雲大社まで走るアップダウンの厳しいレース。
結論から言うと、情けないことに64kmでリタイヤしてしまった。
でも、このリタイヤは実に大きな財産を与えてくれることになった。。。

羽田からJASの特割を使って9500円で出雲空港に到着。連絡バスでJR松江駅へ行き、普通ならここから美保関までバスでいくところだが、理由あって特急で米子へ。心得のある人ならお分かりだろうが、5月26日は日本ダービー開催日だ。しかも、米子には昨年「ウインズ米子」という場外馬券場がオープンしたばかりだ。ここまで来たらウインズへ寄らなくてはならないという使命感のもと馬券を購入、その後JR境線の「奇太郎電車」で境港駅へ。境港駅から「水木しげるロード」を抜けると、渡し舟の駅がある。数人乗ると満員になるような小船に揺られて対岸の島根県へ渡った。

このレースは例年美保関灯台がスタートだが、一月ほど前の大雨で灯台への道が不通になり、今年に限っては美保神社がスタートになった。この神社のすぐ横の旅館に宿泊していた私は、5:30スタートというのに5:00までゆっくりできた。しかし、スタート直後からどうも胃のあたりが重い。ふくらはぎ痛のため2週間ほど走らなかったために体も重い。しかもこの日は非常に暑く、じわじわと体力が奪われていく。前半アップダウンの連続するコースに戦意を喪失し、55キロの着替えポイントを過ぎたときから、何時やめようかとばかり考えていた。結局64キロ地点には関門時間の10分前に到着したものの、その場でリタイヤを決めてしまった。このレースは75キロから宍道湖に出て、ゴールまで平坦コースになるのだが、今回はその宍道湖を見ることもできなかった。

閉会式は私が宿泊する旅館で行われた。本当なら閉会式には出るつもりはなかったのだが、この旅館に宿泊する数名のランナーと一杯やっていたこともあり、勢いで一緒に参加しますか、ということになった。そしてこの偶然が、私のウルトラに対する考え方を大きく変えることになった。

このレースの主催・島根県トライアスロン協会の会長さんの挨拶。
(印象に残った部分だけ書き付けます)
100キロマラソンを走るということはすごいことなんだ。
たとえリタイヤしたとしても、100キロにチャレンジしたことはすごいことなんだ。
他の人にはとてもできないことに君たちはチャレンジしているんだ。
その意味で君たちは非常に幸せな人たちなんだ。
だから、自分に恥ずかしくないレースをしなければいけない。
今回うまくいかなかったのなら、もっと練習して来年はいいレースをしなければいけない。
もっと練習して、来年もぜひまたチャレンジして欲しい。

もちろん、ノートをとっていたわけではないので、全然違う表現をしていたかもしれないが、少なくとも私にはこう聞こえた。100キロにチャレンジできる幸せ。そんな幸運に恵まれながら、リタイヤする理由を探しながら走ってしまった自分。歯を食いしばって完走することが偉いと言っているのではない。体調が悪かろうが、精神的に落ち込んでいようが、そんなことをすべてひっくるめた自分という人間を100キロ先のゴールまで運んで、初めて見えるものがある。

そして、自分はそれを見ることができる幸運に恵まれたんだ。
そう思うと、もういても立ってもいられなくなった。次の100キロは時間内に完走できようができまいが、とにかく100キロの過程を楽しみたい。そんなことができるのは最高の贅沢と思えてきた。

次の100キロ。
それは一月後の「にちなんおろち」になるのだが、結果としてそんな走りをすることができた。
これでもう私はウルトラから逃れることはできなくなってしまったようだ。

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