2005年10月23日 第1回隠岐の島ウルトラマラソン
57km付近は素掘りのトンネルが続く。
65km大峰トンネルを抜けると正面に島前が拝める。(今日はちょっとガスっていたのが残念)
鳥取県境港または島根県七類港からフェリーで島後・西郷へ。
西郷港のビューポートホテル前をスタート、西郷の街の小高い岡の上にあるレインボーアリーナがゴール。起伏に富んだ島を左回りに100km走る魅力たっぷりの第1回大会が開催された。
今年初の寒波が押し寄せた10月22日。
全国から「第1回大会」フリークのウルトラファンが隠岐の島に押し寄せた。
波の高さが4mを超えて、高速船は欠航。吐き気を堪えてフェリーに揺られるランナーたち。
しかしこの程度の波は、揺れているうちに入らないというのが地元の弁。
22日の寒波は、受付中のランナーに雹の洗礼を浴びせ、明け方までは豪雨・強風を続いてランナーたちを不安に陥れた。第1回大会といえば、同じ10月23日には岩手県花巻市で「いわて銀河100kmチャレンジマラソン」が産声をあげたのだが、私のように10月下旬の東北の寒さを避けて、この隠岐を選択したランナーも多かったろう。しかしこの日の隠岐は9℃。かろうじて持ってきていた長袖Tシャツと、念のためにとバックに放り込んでおいたウインドブレーカーが大いに活躍するとは思わなかった。
レース当日の23日はお昼頃から天候が回復するとの予報。
ということは、スタート時の早朝はまだ荒天が続いているということだ。
氷雨の中、しかし言葉とは裏腹にうれしげな表情のウルトラフリークたちがスタートを切った。空はまだ真っ暗。驚いたのは、早朝・氷雨の中、どの集落にもたくさんの声援が続いたこと。これほど多くの声援がコース全体を包んでいるレースは初めての経験だ。
20km地点は布施港。
この街の手前で雨はあがり、ウインドブレーカーを脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てたウインドブレーカーをゴールまで搬送してくれるというありがたい配慮が急遽決まっていた。
ようやく明るくなった空だったが、布施を過ぎると60km地点まで海は見えなかった。ずっと海を見ながら走るというイメージは崩れ、コースのほとんどは山の中。しかも、事前に渡された「100m単位」の高低図ではわからないけど、苦しむには十分なほどのアップダウンが続いている。風も強く、トンネルの中でも向きによっては真正面から吹き付けてくる。
35kmの250m峠。60kmから80kmまで続く3つの峠越え。
ようやく西郷のシンボルである「赤い橋」が見えたと思ったら、そこはまだ90km地点。
ここから隠岐空港の岡をぐるっと迂回させられる。この10kmのアップダウンは覚悟していた以上に厳しく、精神力も萎え気味。でも、最後まで続く声援に後押しされ、ゴール前の登り坂を一気に駆け上がろう。ゴール後も温かい温かいふれあいが待っている。
「第1回大会」と銘打たれたものの、来年以降の開催はまだ未定とのこと。
しかし、500名を越えるウルトラランナーが集まった関心度や、島民の温かい声援に感激するランナーの声は非常に高かった。ゴール後すべてのランナーが言った「厳しいコース」との評価は褒め言葉。いつまでもいつまでも続いて欲しい魅力たっぷりのレースでした。