1992年4月19日 小笠・掛川マラソン
このときを始めに、3回ほど参加した大会。
掛川駅から大会用バスで「ヤマハリゾートつま恋」へ。ここがスタート・ゴール地点だ。ここはちょっと高台になっていて、スタート直後は加速できるから良いとしても、帰路は結構辛い。しかも「掛川名物」となっているのがこの坂の途中にある40キロ表示。
もうゴールは目の前にあるのに、なんでまだ40キロなんだろう?
そう思いながら走り続けると、ゴールテープが張られている広場を見下ろしながら、ぐるっと2キロほど迂回させられるのである。
これが精神的に大変きつい。
最近このレースに出た人によると、この儀式は廃止されたとのこと。
それはそうだ。途中のコースを3キロくらい延ばしてもいいから、ゴールテープが見えたらすんなりゴールさせて欲しいものだ。
レース後、掛川の街で食事をしようとしても、店はほとんどしまっている。
回数を重ねると、駅の売店でお弁当を買って、新幹線の中で食べるのが最も効率的であることがわかるのだが、初めてのひとはどうしても「うなぎ屋さん」を探してしまう。
掛川マラソンの日の夕刻。脚をひきずりながら掛川の街を彷徨するランナーの姿が痛々しい。
ちなみに、静岡では「磐田大藤マラソン」にも参加したことがある。
勿論「ジュビロ磐田」の「磐田」のことで、現在では「ジュビロ磐田メモリアルマラソン」というハーフマラソンに変わってしまったが、当時は10キロの周回コースを4周回するレースで、結構走りやすかった。しかし、磐田の駅からバスで結構走ったところが会場になっており、帰りのバスを待つランナーの長い列が印象的だった。