2002年6月23日 天体界道100km にちなんおろちマラソン全国大会

「熊避けの鈴」を鳴らしながら、こんなとこまで登ります。
中央に見える白い線が今走ってきた道。このあたりが「別荘地」だろうか?

 

JASの特割を使って、羽田から片道9500円で出雲空港へ。
連絡バスでJR松江駅へ行き、そこから特急「やくも」岡山行きに乗り、生山駅下車。
ありがたいことに、受付会場行きのマイクロバスが待っていてくれた。
明日も会場となる総合文化センターや町役場は妙に立派な建物。
会場に来て知ったことだが、韓国から30人を超える市民ランナーが参加していた。しかも、この日この時間はW杯決勝リーグの韓国戦がまさに行われていた。町役場の特設モニターの前では韓国ランナーの悲鳴が響いていたというのがこのレースの強烈な印象だった、

レースに来る前に心配だったのが、こんな(失礼)ところに宿泊施設があるのだろうか?という点。しかし、私が宿泊した「ゆきんこ村」は、日南町と島根県横田町の県境に近い「阿毘縁(あびれ)」という地区にあるきれいな宿だったので一安心。翌朝2:30には、しっかりした朝食を用意してくれた上、マイクロで会場まで送ってくれた。

レースは小雨ぱらつく中、5:00にスタート。いきなり民家もまばらな山へ向かっていった。5月始めの萩往還以来、どうも左ふくらはぎの状態が思わしくない私は、はじめから無理はしない方針で、振り向くとランナーはほとんどいないというポジションを取り続けた。雨は降り続くものの全く寒さを感じないところをみると、太陽が顔を出したら、走るのが難儀になりそう。

37キロを過ぎ、このレースに参加した目的地に到達した。そう、「熊避けの鈴」を渡され、いよいよ林道ランの始まりである。アップダウンを繰り返すコースには苦しんだが、それ以上に驚いたのはブラインドになっているカーブ地点には必ず大会役員がいてくれたこと。本当に町をあげてランナーを歓迎してくれている。

林道を出て坂を下ると、63キロの着替えポイント。しかし、そこから70キロ地点まで続く上り坂がまたつらかった。いや、正確にいうとずっと歩いていたので肉体的なつらさはなかったのだが、何しろ最後尾に近いポジションにいることを思うと、完走できるかの瀬戸際になりそうな気配。

70キロの峠を越えると、80キロまでは下りが続く。ああ、こんな感じでゴールまで行けるのかなと思うのは大間違いで、ここから始まる大倉山一周が本当の正念場だった。今までのコースと比べるとアップダウンはきつくないが、歩くほどではない分、しかも制限時間を気にしながら走らなくてはいけない分つらかった。「脚が痛くてもがんばって」という声援を受けて初めて気がついたが、どうやら左ふくらはぎをかばって、本格的に変な走りになっていたようだ。

14時間だとばかり思っていた制限時間は。実は14時間半。結果として10数分前にゴールへ飛び込むことができた。しかし、一月前の「えびすだいこく」は60キロで走れなくなり、今回もふくらはぎをかばいながらのいらいらするような走りしかできない状態。そんな中で、とにかく63キロまでは行こう。そして63キロまで行けたら、とにかく14時間走り続けよう。それだけを考えて走れた。

「えびすだいこく」でリタイヤしたときにはもう走れない状態だと思ったが、今回100キロ完走した後の方がダメージは大きかったということは、結局前回は甘えがあったということだろう。これまで走った中で、今回は一番苦しいレースだった。だからこそ「ゴールまでたどり着ける」と思った瞬間、これがウルトラなんだと気がついた。

何が「これがウルトラ」なのか。
うまく説明できないが、体調を整えて、準備万端でレースをするのがウルトラではないのだろう。体が痛い、精神的にも落ち込んでいる。そんな状況であったとしても、それを含めた自分という存在が、今日はどんなプロセスを経てゴールまで進むのか。結果ではなく、その過程がウルトラなんだろう。

これまで走ってきて、いくつか走りを変えるきっかけになるレースがあったけど、今回のこのレースは今まで以上のエポックメーキングになりそうな予感がする。簡単に言ってしまえば、本格的にウルトラにはまってしまったということだ。

そんな素敵なレースをプレゼントしてくれた日南町の皆さまに感謝感謝です。