左前方に見えるあの山まで行くのだ。

ケッシュヒュッテから臨む雪渓。思えば風景に脚を止めたのはここだけ。あとはずっと足元を見ていたような気がする。

 

ベルギューンを過ぎると、C42のランナーがいなくなったこともあり、こころなしか雰囲気が寂しくなってきた。ただ黙々と進んでいる感じだ。ベルギューンからチャンツまではじわじわと上り、チャンツからケッシュヒュッテまでは一気に登る。何とか気持ちを切らさないようにと小走りを続けていたら、「first time?」との質問を受けた。もちろん初めてだと言う意味で「イエス」と応えると、このベテランランナー曰く、この区間はスローでいかないともたないよ、とのこと。

都合の良いアドバイスには無抵抗で従おう。チャンツまでは歩くことにした。否、歩きはチャンツまでではなかった。もちろんのこと、チャンツを過ぎて訪れた本格的な山登りも走れるわけなく、すれ違う登山客とまともな挨拶を交わせない状態でぼろぼろと登っていく。

ケッシュヒュッテにはいつ着くのだろうか?
厳しい登りが1時間を越え、森林限界を超えたのか背の高い植物は無くなった。すずらんを大きくしたような釣鐘型の紫色の花が妙に目立つようになったのは、たぶん視点が足元に集中しているからだろう。ケッシュヒュッテまでの制限時間は7時間40分。その時間が迫っていること。また回りの景色を眺める余裕もなくなったこともあり、足元をみて進むことだけが気力をつないでいた。

ああ。あれがケッシュヒュッテだ。
制限時間にあと20分を切ったところで、ようやく山小屋が見えてきた。とにかく7時間40分をクリアすること、それだけを考えて我ながらがんばった。途中、山の上に雪渓が見え、その雪渓からしたたりおちる水が集まり、渓流となってはるか下方へ落ちていく、その一部始終がはっきりと見える地点に到達した。おお。写真を撮りたい。と思ったものの、こんなスケールの大きい風景がファインダーにおさまるわけもないし、第一、立ち止まったらもう前へ進めないほどの疲労感だった。

7時間35分、ケッシュヒュッテ着。
2600m近い山を登ってきても、全く寒さは感じられなかったが、さすがにここは風が強く、すこし肌寒さを感じた。次の関門はスカーレットパス。何時間だろうと、ウエストバックに入れてきたメモを見ようとしたが、肝心なところが擦り切れて見えない。スカーレットパスの次の関門、即ち山を下りきったところデュルボーデンが10時間ということだけが読み取れた。

まあいい。
とにかくパノラマランをクリアし、山を下ったところが10時間。
いろんなことを考える余裕もなく、2500mのパノラマランへ突入したのである。

 

続く