「にちなんおろち」と鉄の国

 2002年6月に参加した「天体界道100km にちなんおろちマラソン全国大会」は、私にとって「秋田の100km」についで2番目に完走した100kmマラソンである。2001年が第1回大会となったこの新しい100kmマラソンは、鳥取県西部の日南町で開催される。何気なく「日南町で」と書いたが、これはすごいことである。この狭い日本の中で100kmのコースを取ろうとすると、普通は絶対に複数の市町村にまたがるものである。しかし日南町は、ひとつの町を大回り1周することで100kmコースを完結させてしまうすごい町なのである。

 もっとも「町内一周」といってもスケールが違う。このレースの呼び物は、100km完走者一名に抽選で別荘地が贈られるというとんでもない特典であり、すなわちこの町には「ただであげるほどの土地」が有り余っているということだ。おまけにコース中には「熊避けの鈴」をつけて走らなければならない恐ろしい林道も設定されている。実際にその道に立ってみると、見渡す限り人工物はアスファルトの道路だけで、あとはすべて森林というすごい町である。

私がこのレースの参加を決めた理由は、もちろん「熊避けの鈴」が欲しかったからである。しかしこのレースは、1ヶ月前に参加した100kmマラソンを途中リタイヤしたばかりであること、さらに持病となった左ふくらはぎ痛に悩まされるという、これまでにない不安だらけのレースとなった。

突然だが、レース名にある「おろち」とは何ぞや。
もちろんスサノヲに退治された「ヤマタノオロチ」のことである。それでは鳥取県西部の山奥(失礼)で開催される100kmマラソンと「ヤマタノオロチ」との間にどんな関係があるのだろうか?
古事記によると、スサノヲは出雲の斐伊川の上流にある鳥髪というところで、オロチの犠牲になろうとしていた櫛名田比売(クシナダヒメ)を助けるために、オロチに酒を飲ませて酔いつぶすという高等(?)戦術をとった。スサノヲはオロチをばらばらに切り刻んだが、その尾から出てきたのが「草薙の剣」である。もちろんスサノヲはクシナダヒメと結婚し、その子孫が大国主神につながるのだが、それは置くとして、問題はオロチの尾から出てきた草薙の剣である。

ご存知のように草薙の剣は、後にヤマトタケルが関東に遠征するときに携帯した名刀で、三種の神器のひとつでもある。ここで注目したいのは、オロチという敵から奪った武器が、その後「天神(アマツカミ)」軍の主力兵器になり、さらにかけがえのない宝となったことである。
専門家に叱られることを承知でまとめてしまうと、オロチは鉄(草薙の剣)を管理下においた土着勢力であり、後に日本を支配することになるアマテラスの弟であるスサノヲに制服される。そしてその重要な資源である「鉄」がスサノヲの管理下に移されたということだろう。
ではこの神話の舞台となった「斐伊川の上流」とはどこなのか?
島根県の宍道湖に西側から注ぎ込んでいる川が「斐伊川」である。その川をずっと上流に遡ると、砂鉄から鉄鋼をつくる「たたら」で有名な出雲横田にたどり着く。そして出雲横田から船通山を越えたところが我が日南町である。

秋のウルトラ(と言っても秋田の100kmだけだが)に慣れていた私にとって、スタート時に明るいというのは、何となく100kmレースらしくないという変な気分だったが、ともかくかすかに雨降る中でレースが始まった。町役場にほど近いところがスタートなのだが、走り始めたとたんに周りに民家はなく、早くも「それらしい」雰囲気になってきた。どのみち左ふくらはぎが万全でない以上まともに走れないのだから、開き直ってスタートから「振り返ると誰もいない」ポジションを取り続けた。何も考えずに前のランナーの後をテクテクとついていくと、意外とスムーズに30kmくらいまでたどりついた。このあたりは夕べの宿泊先であり、また今夜の宿ともなる「ゆきんこ村」がある阿毘縁(あびれ)という地区である。

どうせ日南町まで行くのなら、帰りに出雲横田を回りたい。しかしとても大きい日南町である。宿泊先によっては横田まで行くバスに乗れない可能性もある。どうしようか悩んでいたのだが、宿が阿毘縁地区になったのが幸いだった。この阿毘縁地区は日南町の中で最も横田に近い。万才峠を越えれば一直線で横田に行けるし、しかも朝一番で宿の近くからバスが出ている。もう横田に行きなさいと言わんばかりの環境だ。
日本にはたくさんの鉱山があるというイメージを持っていた。しかし、銅についてはたしかに日本全土に分布しているが、鉄についてはかなり限られているというのが事実だ。「日本の古代 10巻 山人の生業 (中公文庫)」によると、砂鉄は畿内や北陸・東海にほとんど分布がなく、山陰や関東・東北の東海岸沿い、九州に限られているとのこと。つまり鉄は非常に貴重な産物であり、危険を冒してオロチを倒してでも手に入れたい資源だったのである。

阿毘縁をすぎて少し行くと、いよいよ熊の出る(?)林道に突入した。林道の入り口で少年から鈴をもらう。おや。普通の小さな鈴だ。ゼッケンの安全ピンのところにつけたが、走っていてもあまり鳴らない。いかん。これでは熊に襲われてしまう。しかたがないので、ときどき手でチリチリ鳴らしながら走るが、果たして効果があるのだろうか? 他のランナーからも鈴の音が聞こえてこないところを見ると、まあこれでよいのだろう。熊には聞こえているのかもしれない。などと、どうでも良いことを考えながら林道を進む。急勾配の道は無理せず歩き、前のランナーが走り出すと、つられて走り出す。そんなことを繰り返しているうちに気がついた。ブラインドカーブに差し掛かると、そこには必ずスタッフがいて安全を確認してくれる。私の後ろにはそう何人もランナーはいないはずだが、そんな状況になってもカーブごとにスタッフがいて安全確認をしてくれる。スタッフへの感謝の気持ちでいっぱいになった。と同時に、これだけ人がいれば熊は出ないな、と安心すると共にちょっと残念にも思った。
いつ果てるとも知らぬ林道が続く。ふと前方の見ると、はるか山の上にガードレールが見える。まさかと思ったが正解だった。小一時間後にそのガードレールにたどり着き、さっき見上げていた道を見下ろしている自分がいた。

普通の100kmマラソンは中間点である50km前後に着替えポイントがあるものだが、このレースは50km地点がこの林道の真っ只中になるために、着替えは63km地点にある。63kmといえば、1ヶ月前の100kmマラソンで途中リタイヤした距離である。今回の第一目標は、とにかくその着替えポイントまで走ることだった。ようやく林道を脱出すると、今度はその着替えポイントまでひたすら下る。下りになると着実に前に進んでいるという実感が持てる。だからこれで前回リタイヤした距離まではたどりつけるという安心感が強くなってきた。63kmまで行ったら、今度はゴールを目指してどこまで行けるかだ。制限時間内には到達できないかもしれない。でも、時間オーバーであっても前に進みたい。「もうやめて下さい」と言われるまで、前に進みたい。

ふくらはぎを気にして思うように走れない状態の中で、ほんの4ヶ月前には、何の不安もなく、気持ちよく走っていた自分を思い出した。47都道府県フルマラソン制覇の一環として走った吉備路マラソン(岡山県)だ。今年は期せずして中国地方特集になっている。「新版 岡山県の歴史散歩(山川出版社)」によると、

-古代の吉備は畿内に匹敵する先進地域で、縄文晩期から県南で始まった稲の耕作、「真金吹く吉備」といわれた県北の鉄、沿岸島々の塩生産など諸産業の発達は、海上交通の便利さに支えられて朝鮮などの渡来人を多数呼び集め、新しい活力のある文化をつくりだした-

とある。様々な産業の発達が目に浮かぶが、ここでもキーワードとして「鉄」が出てきた。
山陰地方の「鉄」の川として斐伊川を前述したが、山陽地方の「鉄」の川としては岡山県を流れる吉井川をあげよう。下流から見ていくと、鉄とは切っても切れない仲である「日本刀」の刀鍛冶として有名な長船の町がある。少し遡ると、鉄鉱山として少し前まで稼動していた柵原の町、中流には鉄砲町や鍛冶町を擁する城下町・津山が存在する。そして上流には上斎原という町があるが、この町は近世には鉄山稼ぎ(砂鉄の採取・精錬)集団の活躍の場となった正にその地域である。吉備路マラソンに参加する前にこんなことを調べていったのだが、残念ながら吉井川沿いの町にはひとつも行けなかった。いつか機会があれば、特に上流の町を訪ねてみたい。特にこの地域には湯郷温泉、奥津温泉、湯原温泉などの名湯が目白押しだ。

63kmの着替えポイントを過ぎると70kmまで登りが続く。開き直って歩きに徹する。峠を過ぎると80kmまでは下りが続き、結構快適に進むことができる。しかし本当の正念場は残り20kmだった。大きなアップダウンはもう無いが、走れる程度の微妙なアップダウンがだらだら続くから性質が悪い。残り時間との微妙な兼ね合い。前回100kmを途中リタイヤし、今回もダメだったら、もう二度と100kmは走れないのではないか。そんな不安が襲ってくる。これからもっとウルトラを走りたい。ウルトラを完走するという喜びをもっともっと味わいたい。そのためには100kmに苦手意識を持ってしまったら負けだ。

走り続けた。いつしかふくらはぎを気にしてか、左脚をひきずるようになっていた。消炎スプレーをかけ続けた左脚は真っ白になっていた。どこをどう走ったかよくわからない。ただただランナーの列を追い続けた。制限時間に15分ほど残し、朝不安と共に出発した市役所のゴールテープを切った。

閉会式で「別荘地」の抽選会を行っていた。一応当選ナンバー聞いてはいたが、寒さの方が気になってがたがたと震えていた。バスで「ゆきんこ村」に向かうときは逆に脂汗がたれてきた。早くお風呂に入って休みたい。毎度のことだが、100km走った後は食べることも飲むこともままならない。せっかく用意してくれた夕食は半分も食べられなかった。しかし今日100kmを完走できたことで、これからもウルトラを楽しむことができるんだ。そんなささやかな喜びに浸ることができた一夜だった。

翌朝「ゆきんこ村」のスタッフにバス停まで送ってもらい、始発バスに揺られて万才峠を越えた。初めは学生が数人乗っているだけだったが、途中驚くほどの中学生が乗ってきて満員になった。閑散としたバスで一人横田に向かうという勝手な想像をしていたが大きく裏切られた。バスは若者の活気であふれた。鉄の町の未来は活気に満ちている。妙に安心できた私である。