2006年1月2~3日 西表島を走る

仲間川河口のマングローブを楽しみながらの快適ラン。

西表温泉を過ぎると急な登り坂が待っている。しかし振り返ると雄大な海が。

 

八重山の旅を決めたとき、各島間の移動は船で行うことは当然だが、この船がダイヤどおりに出るものと何の疑いも無く信じていた。しかし、鳩間島の宿で「アイランダー」から聞いた言葉に愕然。私は石垣-鳩間を予定どおりに移動できたのだが、実は前日までの数日間、船が欠航していたとのこと。これから西表や波照間に移動する予定だが、果たして予定どおりにいくのだろうか?

1月2日。
やや不安を持ちながらも石垣から西表に渡る。
石垣から西表に渡る航路は、石垣-大原(西表東部)、石垣-船浦(西表西部)と石垣-上原(同じく西部)の3つがある。船浦と上原は2kmほど離れているものの、ほとんど同じ位置と考えてよいのだが、実はこの時期、この2つの港の便が欠航することが多い。マップを見ていただくとわかるが、船浦港は「西表西部」と言っても、実際には西表島の北海岸に位置する。そして八重山の冬は大陸の影響で強い北風が吹くことが多く、石垣、西表北部、鳩間を囲む海域は非常に荒れやすいのだ。

1月2日、実はこの日も石垣-船浦(および上原)便は欠航した。
幸い西表の東海域は、北海域に比べて季節風の影響を受けにくいため、私が予定していた大原港行きは問題なく出航できた。船はそれほど揺れず、快適。約40分後に接岸した大原港は明るい、清潔感のある港だった。さてここから約30km、船浦港までのジャーニーランを始めるのだが、この区間は今回の旅の中で唯一すべての荷物を背負って走らなくてはならない区間だ。ほかの区間は宿に荷物を預けて走れるのだが、今日はそれができない。実は旅の計画を立てているときからあれこれ考えていたのだが、結局、西表で必要ない荷物は石垣港で船会社の待合室で預かってもらうことができた。何しろ本土は強烈な寒波だったので、沖縄にくるまで来ていたものがやたらと重く、かさばっていたのだ。2日間も荷物を預かってくれた船会社に感謝。

走り始めは歩道が少なく、石垣に比べて細かいアップダウンが多く、少し走りづらかったが、次第に雰囲気にも慣れてきた。余裕が出始めてまず気になったのが「イリオモテヤマネコ」に関する標識の多さ。最近イリオモテヤマネコの交通事故が増えているとのことで、ドライバーへの注意表示がその目的なのだが、なかなかお目にかかれないと聞くヤマネコが今にも飛び出してきそうな勢いだ。中でもこの先に「ヤマネコがいます」というような標識もあったが、これを見るとスピードを落とすより、先を急ぎたくなってしまうのは私だけだろうか?

水牛車で海を渡る風景で有名な由布島をすぎたあたりから強烈な風が吹き付けるようになった。何しろ船が欠航するくらいの北風だ。展望が開ける海沿いのきれいな道ほど強烈度は増す。美しい景色を楽しんで良いのか、真正面から吹き付ける北風を悲しんでいいのか。苦しみながら走る続ける旅人の姿を放牧されている牛たちが不思議そうに眺めている。人間だと目が合うと無意識に視線をそらすものだが、牛たちにはそんな習慣はないようで、いつまでもジーっと見つめられているのが恥ずかしい。

八重山は(沖縄はを言ってもよいが)湯船につかる習慣がないと聞く。特に離島ともなると水自体が貴重なものなので、余計にそうだ。確かにこの旅でまわった石垣以外の3島の宿もシャワーのみで湯船は無かったし、以前行ったことのある南大東島や宮古島の宿もそうだった。しかし、西表の宿には湯船がないものの、うれしいことに西表には温泉がある。八重山唯一の温泉、日本最南端の温泉などとたくさんの形容詞がついた温泉だ。大原港から船浦港へのちょうど中間点にその温泉があるのだが、走り途中の今は残念ながら立ち寄るわけには行かない。船浦の宿に荷物を置いたら、バスでここまで戻ってこようと心に決め、今は走り始めてから初めて出会った自販機でのどを潤すだけに留め、再び走り始める。

温泉を過ぎると、急に上り勾配がきつくなった。ここからしばらく大きなアップダウンが続くことになる。しかし、周囲に山や木が増えたために風に悩むことはなくなり、かえって走りには楽になった。道も広く、走り始めに多かった観光バスもこの時間帯は少なくなり、次第に走りに集中していく。と、そのとき向こうから1台の自転車がやってきた。ひょっとしたらと思うと、やはりそうであった。

この自転車の青年は、去年(といっても3日前)鳩間島の民宿で一緒だった青年だ。自転車やバイクで日本中を旅するその青年とは話が合い、雨降りの退屈さを忘れることができた。これまで旅した中でどこが面白かったか、ということをいろいろ話したが、お互い礼文林道を走っていることを発見したりもした。彼がこの日に西表を旅することは聞いていたが、本当に出会うとは思わなかった。この後、波照間へ向かう石垣港で再び出会うことになるのだが、恐ろしい偶然というべきか、八重山を旅する人々は同じような行動パターンに陥るというべきか。

船浦港は大原港に比べ、大変こじんまりとしていた。船が欠航していたこともあってかひっそりともしていた。急坂をのぼったところにある宿に荷物をおいて、予定どおりバスで温泉に向かう。バスの本数が少ないのできちんと確認しないと危険だが、1時間ほど温泉を楽しめるダイヤになっていたのがうれしかった。運賃を払おうとすると、親切な運転手が1000円で3日間乗り放題チケットの存在を教えてくれた。翌日もバスに乗る予定があったので、迷わず購入。温泉は1500円と高く結構込んでいたが、旅先で湯船につかるのは最高。ああ、また明日もきてしまいそうだ。

1月3日。
船浦から白浜まで走る。集落と山道を繰り返し、浦内川へ。この川のマングローブに覆われた風景をみると、予定はしていなかったが観光船で、いやカヤックでこの川を遡ってみたい気持ちになってしまうほど魅力的な景色だ。ここから祖内までは比較的開けた道だったが、祖内を過ぎる明らかに道は変わった。道というより雰囲気が変わったというべきか。うまく表現できないが、船浦から祖内までは離れ離れとはいえ集落が有機的につながっている道だったが、祖内を過ぎるとそんな雰囲気はなく、明らかに祖内で「終わり」という感じだ。

白浜に近づくにつれて、勾配が急激にきつくなり始めた。ここからトンネルと通る道と、それを迂回する道があるが、迂回路の入り口がよくわからなかったので、真っ直ぐトンネルへ向かう。それほど長くないトンネルで、歩道もちゃんとあったのだが、中で一箇所明かりが行き届かず真っ暗になる部分があった。思わず走るのをやめて、壁を頼りに手探りで恐る恐る前に進む。なんとかトンネルを出ると、そこはすぐ白浜の港だった。船浦から約16km。

ここの港で濡れたTシャツを着替え、いよいよ今日の目的地である船浮へ向かう。
船浮は同じ西表島にある集落だが、白浜から道はつながっていない。船でしか行けない集落なのだ。白浜港からすぐそこに見える内離島は、19世紀末から20世紀前半まで炭鉱が存在した島で、もともと白浜も船浮も、その炭鉱を中心にできた集落だ。特に船浮は中国や台湾への石炭輸出基地で、沖縄県では那覇よりも先に税関ができた街で、戦前の最盛期には遊郭や料亭もあり、石垣島よりも物資が豊富にそろっていたとのこと。(斎藤潤著 「沖縄・奄美《島旅》紀行」 光文社新書 2005年 より)

しかし、今は人口約40人ほどの小さな集落。
西表島の情報はガイドブックでたくさん入手できるが、白浜と船浮を結ぶ船のダイヤはその場に行かないとわからなかった。ちなみにこの日は、以下のとおり。片道410円。
白浜発 8:35 10:55 13:20 17:50
船浮発 7:50 10:35 12:50 17:10

10時55分発の小船で船浮へ。この船の上から見る海は実にきれい。この10分の船旅はお薦めだ。行きたかった歴史資料館も残念ながら正月休みだったので、12時50分まで時間をつぶすためにイダの浜まで散歩したが、これが非常にきれいな砂浜だった。食堂は港に一軒あるのだが、この日は団体客が入るとのことで食事はできなかった。他に食事を摂る所は無く、どうしようかと歩き回っていると売店が一軒。そこでカップ麺(沖縄そば)を購入し、売店でお湯を分けてもらった。海を見ながら、沖縄そばをすすり、ぼーっと過ごす時間。これはこれで贅沢な時間といえよう。

12時50分の船で白浜に戻り、13時発のバスに飛び乗る。
目的地はもちろん西表温泉。贅沢な時間の続きを楽しもう。