たぶん公園の跡。ブランコと鉄棒が、今でも子供たちを待っている。

 

今やメロンで有名になった夕張の街。
もちろんかつては炭鉱の街として栄えていた。

その夕張(正確には清水沢)から夕張川をさかのぼると、
大夕張ダムにより作られた人造湖・シューパロ湖にたどりつく。
その湖の上に、廃線となった大夕張鉄道の鉄橋が架かっている。

この大夕張鉄道は、湖を左手に6キロほど行ったところにあった大夕張炭鉱から
石炭を運んだ鉄道である。
そして、その大夕張炭鉱の近くには鹿島、千年などの街が存在していた。

最近発売された「ツーリングマップル・北海道版」を眺めていると、
「無数の電信柱と炭鉱の街跡が続く」とコメントしてあった。

行ってみたい!
そのコメントだけで、いても立ってもいられなくなった私である。

実際には、数年前に建物は撤去されたとのことで、
わずかの(木製)電柱を残すだけの原っぱであった。
これは、地図にはもっと建物があるように描かれていたため、
はたしてここが目的地なのかと悩んでいた私に、大阪ナンバーの車でやってきた若者が
教えてくれたことである。

もう少し前に来ていれば、大規模な廃墟を眺めることができたのにと、
少し残念に思ったが、付近を歩いていると、(おそらく)公園の跡を発見した。

ひとつの街ができて、栄え、やがて跡形も無く消失していく。
石炭だけに頼った結果であると、後知恵では何でも言えるが、
これも忘れてはいけない日本の姿である。

2001年8月13日
清水沢-大夕張の街跡 往復約32キロ